クリスチャンの比呂子さん(今の井上師夫人)から聖書を渡され、当時まだバリバリのやくざだった井上師は、マタイ5:30「右手が汚いなら切り落とせ。一緒にゲヘナに落ちるよりましだ」を読み、初めて自分の汚れた手を見て大泣きした。5日後、教会に行ったら、みんながにこにこ迎えてくれるので、こんな俺でも迎えてくれるところがあるのかと驚いた。
変わっていく自分を組の親分は見ていたのだろう。ある日「今日は日曜日だろ。教会に行け」と言われ「はい」と応え、帰って来て「親分のために祈ってきました」というと「そうか」との返事。しばらくたって、一緒に教会に行って牧師と面談することとなり、その時親分の口から出た言葉が、「井上がまじめにやるなら、やくざの世界から足を洗わせます」だった。抗争が絶えず、いつ命を落としてもおかしくない中、親分は俺に生きていてほしいと思ってくれたのだ。
やくざの世界では、子分が親分のために命を張る。が、キリスト教の神は、親分であるキリストが、我々のために命を捨てて下さった。「自分はこの新しい親分に仕えます。親分もやくざをやめるよう祈ります」と親分に告げ、自分はやくざをやめた。数年後、親分もやめた。全ては祈りの力。Ⅱコリント5:17「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」