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礼拝メッセージ

失われた宝物
ルカ15:1-12

ティムケラーは、あなたの善良さがあなたと神との障壁となっていると言います。それは、自分はまじめだし、これからも神なしで大丈夫という思いを起こさせるからで、これが兄息子の状態でした。それは、ただ自由を求めて父を離れた、一見ハチャメチャな弟より深刻でした。イエスの示す新しい罪の定義は、ルール違反をすることではなく、神から離れること。兄の離反の罪は、弟の場合より悔い改めの道が長く、これがルカ15章の示すパリサイ人の状態だったのです。

兄も弟も、「お父ちゃんならこの問題を必ず解決してくれる」という信頼を持っていませんでした。これが罪の状態です。逆に信仰とは、「この問題は複雑だけど、お父ちゃんは何とかしてくれる」という単純素朴な安心に生きること。これが「心の中にシオンへの大路のある人」(詩84:5)の生き方なのです。

イエスは羊を捜しに行く羊飼い、一番ダメな子羊を誰よりも愛してくださる方です。かつ、それだけでなく、我々のために命を捨てた子羊でもある。それは我々に価値があるからです。この神の愛と、自己価値を知った時、我々も、炭火できよめられたイザヤのように、「私を遣わしてください」と神に言えるようになります。「主に愛された価値ある者」という自己像を見たクリスチャンは、義認に終わらず、聖化と派遣のブレークスルーを経験するのです。