もともと不幸で落ち着きのない男だったパウロが、あの日を境に不動の人間に変えられたわけですが、そのことが起こった第一の理由が、「自分の思い通りにならない神」との出会いでした。それまで彼の信じて来た神は、パウロ好みの神。しかしそれは現実の神とは違うのだという気づきがイエスとの遭遇で与えられ、その突破口となったのです。こういう神なら信じたいとあなたが思う神は、あなたを変えることは決してできません。
次に、3日間パウロの目が見えなくなったのは、物理的な光が目に当たったからで、その証人となったのが、ダマスコ遠征に同行したユダヤ人たちでした。また「復活のイエスは五百人と一時に出会った」との記述は、出会いの32年後に手紙に書かれましたが、この五百人はその時まだ生きており、もしそれが作り話だったら、そんなことは書けなかったはずです。この「客観的かつ頑固な事実」がサウロ回心の2つ目の理由です。
またパウロはイエスに「あなたは誰か?」と聞き、イエスは「わたしはあなたが迫害している者だ」と答えられます。パウロはこの言葉から、クリスチャンになるとはどういうことかを考えたのです。「わたしと民はひとつであり、クリスチャンが傷つく時はわたしも傷つく」とイエスは語ります。この「結合」は僕らクリスチャンの、苦しみに対するとんでもないリソースであり解決です。これぞ苦しみの敗北であり、復活はこの苦しみを完全に打ち砕く教えなのです。