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礼拝メッセージ

神の御心に生きる人生
使徒12:1-24

ヤコブとペテロは、両方ともヘロデによって投獄され、ヤコブはすぐに切り殺されますが、ペテロの場合はそのあと、至れり尽くせりの脱出劇が展開します。この違いは何なのか。ヤコブが捕まった時も、教会がヤコブのために祈らなかったはずはないからです。これは神の御心によるのです。

教会の特権は、祈りによって神の御心を知ることが出来ること。祈りつつ、途中でそれを知ることは出来なくても、最後の結果から容易に御心を知ることが出来る。だから教会は祈りを通して神と一つになることが出来るのです。このお尻の閉まり方は偉大です。

教会はヤコブの殉教を、信仰を持って受け止めたはずです。同様にペテロに起こった信じがたい出来事も受けとめた。両方ともイエスが与えて下さった信仰こそが勝利の秘訣なのです。「世に打つ勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」

神の御心が、教会の祈りによって左右されるのかというと、そうではないはずです。飼いならされていないライオンのように、僕らの思い通りにならない神こそがまことの神というのが、神理解の基本。僕らは祈りによって信仰を保つことが出来るし、祈りによって神と一つにさせて頂くのです。