未知なる神へ
使徒17:16-34

僕らは会社で「会社の常識、社会の非常識」に遭遇します。でもその時、相手は企業の論理に染まった大集団。となると、それは間違っていると感じても、数に押されて、間違っているのは自分のほうかもと思い直す「素直さ」が顔を出します。しかし聖書に書かれていることを咀嚼した時、「組織は個人よりはるかに重要」という考えに嫌悪感を抱く自分の感性は間違っていないのだと初めて分かるのです。

多くの人が、神などいない、知らないで済まそうとします。が一方で、強い生物が弱い生物を食いものにするというごく自然の原理が、人間世界で横行することには反発を感じます。しかし、「超自然の神など存在しない」という前提からは「人権は存在しない」という結論しか出て来ず、もし心の中で人権を認めて生きるなら、まずその前提を変える必要があり、そうしなければ大きな矛盾を抱えて一生を過ごすことになります。

もしイエスが復活し、自分が神の子であると宣言したのなら、理解できない積み残しの問題がたとえいろいろあったとしても、それは重要ではありません。あなたはイエスを信じるべきです。もちろん簡単には復活を信じられない人もいるでしょう。が、その場合、キリスト教がどう始まったかについてあなたは別の説明がつくでしょうか。何百人もの人が「イエスを見た」と言い、一夜にして信じ、そのことを証言するために命を落とす人まで続出したのです。

パウロの語るこの「大きな矛盾」と「肉体の復活」を見つめ、それが真実と分かり受け入れることで福音が人生に浸透し、あなたの生活のすべての分野においてキリストの福音が力を発揮し始めます。そしてパウロが問われたように「このおしゃべりな男は何を言おうとしているのか」と聞かれるでしょう。その時は恥じずに福音を語りましょう。そして目の前の岩が溶けだすまで愛し続けようではありませんか。