深海魚は、そのまま地上に持ってくると爆発してバラバラになると言います。それは、深海魚にとっては深海がふさわしい環境なのにそこを離れたから。僕らにとってのふさわしい環境はイエスの王権の下。そこが道徳的秩序の発信源であり、僕らは王が何を望んでおられるかを知り、その喜ぶところを行うべきであって、そこを離れたらバラバラになるのです。
アダムとエバはエデンの園でいのちの賜物を受け取り、その唯一の取説が「その木の実を食べてはならない」でした。僕らにも一つだけ取説があり、神は問われます。「人生の決定事項をこのわたしが決めるのか、それともあなたが決めるのか。わたしに任せるならあなたは一つになるだろう。しかし自己決定で決めるならあなたは粉々になるだろう」と。
イエスは十字架上でバラバラになられました。砕かれ、血を流され、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。神はアブラハムに「お前を祝福する。全人類を祝福する」と誓われ、契約を結び、ご自分だけがバラバラの動物の死骸の間を通られました(創世記15章)。「あなたを祝福し損ねたらわたしはバラバラになろう」と。そしてイエスにおいて神はそうされたのです。アブラハムを祝福し、僕らを祝福するために。
キリストはふさわしい方なのに、ふさわしくない者の立場を取られ、僕たちをふさわしい者としてくださいました。ここに交換があります。そしてこのキリストの美しさに触れたことで、僕たちはキリストの喜ぶことを行う時に喜びを感じる者となるのです。クリスマスは平和の君の到来で、イエスこそが僕らのコスモスの原点。平和が訪れるのは、彼が王だからです。