マリアのベツレヘムへの旅路は200kmでしたが、到着後そこに宿屋は無く、馬屋での出産となります。僕らの人生にも何をやってもうまく行かないと思える時があります。が、その裏で、神の最大の計画は着実に進んでいました。ですから、一見unhappy思える事にもいたずらに嘆かず、かえってその裏にとうとうと流れる主のblood, blessingを信じる信仰を持ちたいものです。
東方の博士たちは星に導かれて、幼子イエスの家畜小屋にたどり行きつきます。こんな星は普通ありません。が、僕ら祈るクリスチャンの人生には、そのようなキリストの星が何度か出現するのです。あの人との出会いで自分の進むべき道がはっきりした、あの一言で悩みが吹っ切れたという出来事です。それは悩みが深ければ深いほど、また周りが暗ければ暗いほど、燦然と輝く明けの明星となって僕らを導きます。
博士たちは、幼子イエスとお出会いした後、元来た道とは別の道を通って帰りました。それは、これまでヘロデの庇護のもと偶像に仕える生活をしてきたが、その日以来、神を神とするあたらしい生活に切り替えたことを意味します。彼らは静かに眠る幼子に、長く待ち望んだ預言の成就と、天の御座を離れて飛び込んでこられた「動」の神、愛と慈しみの神を見たのです。
愛はじっとしていることを許さないと小山牧師は言います。僕らも無関心ゆえに落ち着いた怠け者になるのではなく、クリスマスのこの主のご降誕に倣って、遣わされて出て行きましょう。「ニグルの木の葉」の大木のように、僕らの小さな能力、時間のなさにかかわらず、主は完成形のご褒美を天に用意していてくださるからです。