今日から別の道
ルカ2:1-20,マタイ2:9-12

マリアのベツレヘムへの旅は200kmの長旅でしたが、到着後そこに宿は無く、家畜小屋での出産となります。僕らの人生にも、何をやってもうまく行かないと思える時があります。が、その裏で神の最大のプロジェクトが進んでいる、それが第二の現実です。ですから一見unhappy思える事にもいたずらに嘆かず、その裏にとうとうと流れる主のblood, blessingを信じる信仰を持ちたいものです。

博士たちは星に導かれて幼子イエスにたどり行きつきます。こんな星は普通ありません。が、祈るクリスチャンの人生には、そのような「キリストの星」が何度か出現するのです。あの人との出会いで自分の進むべき道がはっきりした、あの一言で悩みが吹っ切れたという出来事です。それは悩みが深ければ深いほど、また周りが暗ければ暗いほど、燦然と輝く明けの明星となってあなたを導きます。

博士たちは、幼子イエスとお出会いした後、元来た道とは別の道を通って帰りました。それは、これまでの、ヘロデの庇護のもと偶像に仕える生活を、その日神を神とするあたらしい生活に切り替えたことを意味します。彼らは静かに眠る幼子に、長く待ち望んだ預言の成就と、天の御座を離れて飛び込んで来られた「動」の神、愛と慈しみの神を見たのです。

愛はじっとしていることを許さないと小山牧師は言います。僕らも無関心ゆえに落ち着いてしまうのではなく、クリスマスの主のご降誕に倣って、遣わされて行きましょう。「ニグルの木の葉」の大木のように、僕らの小さな能力、時間のなさにかかわらず、主は「完成形のご褒美」を天に用意してくださっているからです。