聖書の語る「真実」の本当の使い方は、心と体の健康をもたらすこと。そしてその真実は、会話を通して入ってきます。時には泣き、一緒に時間を過ごすことで入って来る。だからコミュニティーに属し、互いにかかわらないとダメなのです。その時、その真実によって人生が変わります。
イエスは「涙」と共に下って来られ、涙と共に生き、涙と共に天に帰って行かれました。だから僕らも泣いていいのです。それは僕ら人間が、少しでもイエスの愛とあわれみと熱情に倣おうとしたら、そこに涙は切り離せないからです。真理に関して妥協しないコミュニティーが涙を流すとき、初めて僕らはキリストのからだなる教会となれます。
友情は二人が同じものに驚き、畏敬の念を抱き、惹きつけられた時に生まれます。逆に何も持たない者同士は何も共有できないし、どこへも向かわない者は旅の仲間を持つことが出来ません。福音の持つ特徴は「絆」であって、それは、それを通して、以前は決して友達になれなかったような人たちとも友達になれることということです。
「真実」「涙」「絆」がミニストリーの3要素です。が、イエスは究極の孤独を味わわれた。弟子たちにも、父なる神にも捨てられ、一人で死なれたのです。それは僕らが神と友となり、互いに友となることが出来、一緒にいることが出来るようにです。一人でいることは良くない。ですからアダム以来の仮面を脱ぎ捨て、互いにもっと交わろうではありませんか。