ある青年の経験
(野口恭一師)
マルコ14:43-52

ゲッセマネで、ある青年が捕まりそうになって「たった一枚の亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた」(マルコ14:52)とあります。これはおそらく筆者のマルコ自身のこと。でも彼はなぜこの話を、福音書に盛り込んだのでしょうか。

さらにマルコはバルナバのいとこで、パウロの第一回伝道旅行に同行しますが、途中で逃げてしまいます。第二回伝道旅行にも連れて行きたいバルナバにパウロは反対し、大げんかになったことから(使徒13:13)、この時点でパウロのマルコ評は地に落ちていたと分かります。

しかしそれから十数年、パウロは自分の手紙の中で、同労者の筆頭にマルコを上げ(ピレモン1:24)、またネロの迫害の中で書いた最後の手紙の中でも、「マルコは役に立つ」(Ⅱテモテ4:11)と名を挙げて賞賛するほど、彼の評価は一変します。

マルコ自身、イエスの目線で自分の過去を見直した時、あの失敗、惨めで恥ずかしい出来事、回り道があって初めて今の自分がある。あそこがイエスの恵みを味わう出発点だったと知ったのです。マルコとは「主は恵み深い」という名です。恥ずかしい経験こそが、自分を本来の自分にしてくれるのです。

僕らは皆挫折を経験します。が、そこから出直せ!失敗はチャンス。弱さは活かされるとマルコは言いたくて、あえてそれを後世の僕たちに伝えたくて、書かなくてもよい自分の失敗を福音書に残したのではないでしょうか。