ペテロは自分の罪深さを示され、「私から離れて下さい」と叫びます。が、それと同時に、イエスはペテロを受け入れ、一緒に生きて行こうと誘われます。この自分のダメさを徹底的に示すと同時に完全に受け入れられるという「両極」、イエスを通してのこの神の恵みを経験した者は、優越感や劣等感にさいなまれて歩むことは無くなり、そこには謙虚さと大胆さが共存します。これがイエスの救いのもたらす「自分との関係」の変革なのです。
またこれまでのあなたの仕事は、自己価値を高めるための仕事でした。そんなあなたは仕事の奴隷で、夜も、週末も、家族があなたを必要とするときでさえあなたは仕事から離れられません。でもイエスの救いがあなたの生活に入るなら、あなたの性格は一変し、生活の優先順位も入れ替わります。これがイエスの救いの与える「社会学的」変化です。
中風の男をイエスのもとに運んだ友人たちは、「歩け」と言ってもらえうことが目的でやって来ました。が、イエスはまず罪の赦しを宣言する。イエスは僕らの望みに対して、「あなたが本当に求めるべきものはそれではない」と言われます。「霊的和解」が最優先で、それさえあれば他はすべて整うのです。
では「起きて歩け」と「罪は赦された」の2つはどちらが易しいか。イエスは後者が難しいと言います。そして全ての答えはイエスの十字架にあると。イエスは十字架で完全に自由を失いました。だから中風の男は自由に動けるようになったのです。イエスは城壁の外で十字架にかけられた。だから本来アウトサイダーのツァラアトの男が受け入れられ、癒されました。ここにイエスの救いの真髄があります。