イエスの共同体
ルカ6:12-36

人間の共同体がこれまで失敗してきた理由は、そもそも人間と神がうまく行ってなかったことにある。もしそれがうまく行くなら、全ての関係が回復するのだ。イエスは新しいコミュニティーを作ると約束された。人間にはもともとコミュニティーで生きる様にデザインされており、僕らはコニュニティーの外では、本当の美的な体験をすることも、自己像を持つこともできないのだ。

神の国は「今泣いている人は幸い」という、価値観の大転換をその国の住人にもたらす。「泣く」と「幸い」は、ともに現在形で語られており、これはパラドックスだ。しかし神の国の住人は、神からの、状況に左右されない祝福を持つ。その人は、マイナスが起こっても絶望することなく、より賢く対処する。そしてその結果、苦々しい人間ではなく、やさしい人間になる。これが祝福の中身なのだ。

罪の本当の意味は「自己救済」、つまり自分自身を自分の救い主とすることだ。神の国に居続けるためには、まず自分は罪びとだと知ること。と同時に、自分は神の子とされていることも知る。そんな偉大な神に対する忠誠だけでつながる共同体が、教会なのだ。似た者同士の集まりではない。だからあえて「愛し合いなさい」という「新しい戒め」をイエスは与え、僕たちに忍耐を求められた。