高慢の逆は謙遜ですが、謙遜とは、自分を低く見ることではなく、自分を考えないこと。そして謙遜な人は他人に興味を持ちます。
高慢は転落の前兆です。そして高慢が人を愚かにするのは、その人が過ちを認めないから。逆に批判を受け入れ、自分の過ちを笑える人は成長します。高慢な人は自分より下の人を見下げ、同じ間違いを繰り返すのです。また高慢は、人を邪悪にします。高慢は一つの罪ではなく、諸悪の培養皿。他のあらゆる悪を育む働きをするのです。
僕らが求めているものは、称賛に値する人からの称賛です。ハマンが求めたものは間違いではありませんでした。それは僕らと同じだから。でも彼は間違った王にそれを求めたのです。究極の王が来られました。が、信じがたいことにその王は、父の愛をはく奪されました。イエスが衣を脱がされたのは、僕らがキリストの義に包まれるためだったのです。
あなたは自分が、神が死ななければならない程の悪者だったと知る時、否が応でも謙遜になります。と同時に、神があなたのために喜んで死なれたほどに、あなたは神に肯定されているのです。イエスがあなたのために為された姿を見るなら、あなたも自分の弱さを開示する強さを得るでしょう。過ちから学ぶ強さ、正しいことを成し遂げる強さも。更に正しい人間関係を築き、正しい仕事を探す強さを与えられます。
この強さと平安を頂く最初のステップは、あなた自身が誇り高い人間だと気づくこと。これなしには何も始まりません。もし自分は傲慢でないと言うなら、それはあなたが非常に傲慢であることの証拠です。
