聖霊は福音の真理に対する感性を高めます。聖霊によって強められた正しい感性をもっていなければ、理論的に神の愛を知っていても、本当に知っていることにはなりません。それは「はちみつは甘い」と文献や他人の情報で知っていても舌で舐めたことのない人と同じで、その本当の甘さを知らないのです。
聖霊の力を通す時キリストは、あなたの人生において、ほかの人たち以上の現実的な存在となります。それがないと、「神の愛は知っているが、今日あの人が私を批判した」と言いだすかもしれません。つまり本当の愛はまだつかめてないのです。でももしあなたの人生の根が、聖霊を通してキリストの愛に触れるなら、あなたの人生は永遠に変わります。
ハドソンテーラーは、毎朝「ああ主よ、私にとって生き生きと輝く現実となって下さい」という短い祈りを捧げてから活動を始めたと言います。主の存在をビビッドに感じられないまま生きるクリスチャンが多くいますが、この短い祈りを継続的に捧げることによって、あなたは「信じます」「感謝します」という言葉をリアルに感じることなく言い続けるという不誠実さと偽りから、解放されるのです。
また従順の祈りも必要です。パウロは聖霊を語る時、くずおれて祈りました。ゆえに僕らも、本当に訴えたいことがある時、また神にこのことだけは聞いてほしいと願う時、ひざまずいて祈るべきです。さらに、本当に神を知りたいなら、共同体にかかわる必要があります。その上で黙想の時間を持つのです。
「神の愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解する」(3:19)の「理解する」は、略奪し、圧倒し、気絶させるという意味です。黙想は格闘です。そしてこの格闘を通して理解すべきは、神の愛の、緋色の罪をも受け入れてくださるという広さであり、太古の昔から始まった私たちへの愛の長さです。また神がご自身を満たしてきた栄光を私たちに与えられるという高貴さであり、イエスが下られた地獄の深さ、その愛の深さです。この言葉を聞く時僕らは心動かされますが、これこそが聖霊の働きなのです。
