敵からの安息
エステル7:1-10, 9:20-23

エステルはハマンに打ち勝ち、当時のペルシアにおけるユダヤ人は、敵からの安息を得ました。が、それも一時的なもので、長くは続きませんでした。歴史上、メシア的な英雄が現れる度に、敵からの安息もその都度与えられましたが、それも時間とともに消滅しました。故に旧約の預言者たちは究極の安息の到来を待ち望むようになったのです。

イエスは、自らを「人の子」と称しながら、政治的な解放者にはならず、弟子たちを失望させました。が、敵を愛し、敵を赦し、敵のために死ぬという態度には、イエスの悪に対する究極の戦いがあったのです。それは悪を打ち破る最善の方法は、実は善を用いることだから。相手を傷つけることを考えず、「恵みの暴力」に訴える事なのです。

レミゼラブルで、司教のあげた銀の燭台は、ジャンバルジャンの人生を変えました。彼は救われるか破滅するかの分かれ道に立たされたのです。誰かに恵みを与え、赦すことは、その人を敵から友に変える力を持ちます。実はこれが敵を滅ぼす唯一の方法で、十字架上でイエスの為されたことはまさにこれでした。                

イエスがあなたのために死ななければならなかったほどにあなたは悪く、罪深い者です。しかし同時に、あなたの為なら、全てを失う値打ちがある、無限の苦しみを経験する価値があるというほどあなたは愛されている。これがあなたに安息を与えるのです。恵みは甘ったるいものではなく、シャープです。恵みはあなたを神の友とし、敵意を打ち破り、あなたを和解の使者として世に送り出します。