アイヒマンというホロコーストの設計者は、戦後公判にかけられますが、アウシュビッツから生還し法廷でアイヒマンを見たユダヤ人は、彼が普通の人間であることにショックを受け、嗚咽し、卒倒します。それは「あいつ人間じゃない。けもの以下だ」と思う時、自分の心の中にも同じ種があり、それに水と栄養さえ与えるなら、同じことをしてしまう闇性が自分にもあることを発見したからでした。「あなた方は以前は闇でした」
「歩む」は人生の比喩で、歩むという行為には、どこからどこまでという方向性があります。出世も、金もうけもいいけれど、大事なのは、そこにあるあなたの真の目的が何かです。その「何のために」が、そこから出て来る活動が、自分と、周囲の人の魂と人生に与える影響を決めるからです。「機会を十分に活かせ」は、時間を買いもどせということ。自分の心と、神の御心を知るなら、あなたにとって何が最大の善で、何が最も戦略的かも見えて来るのです。
聖霊は、あなたの持つリソースへの気づきを増します。僕らは人類の歴史上唯一の従順な方イエスを知っており、そのイエスが僕らの不従順さの呪いを受けて十字架で死んでくださいました。そしてそのことに心を動かされるとき、僕らは初めてイエスのように従順に生きたいと思うのです。「御霊はわたしの栄光を現わします」
聖霊に満たされた証しは、神への感謝の生活と、他者への奉仕です。それと同時に、僕らはその時、心の中で音楽を奏でながら歩くのです。ジョナサン・エドワーズは二十歳の時、聖霊に満ち溢れた14歳のサラ・ビアポント(のちの奥さん)に恋をしました。そしてあなたもそうなれるとパウロは言います。「眠る者よ。目を覚ませ。死から起き上がれ。そうすればキリストがあなたを照らされる」
