「神を信じたいがむずかしい。そのための確かな論拠がほしい」という話をよく聞きます。が、神は完ぺきな論拠ではなく、完ぺきな人を与えられました。それがイエス・キリストです。イエスは議論の余地のないお方で、ご自身について語られたそのままの人でした。神が歴史の中でどのように働いているのか?の質問に答えるのもこの確かな方、イエスです。イエスを無視して議論を待つなら、その人は、永遠に待たなければならないでしょう。
古代ユダヤにおいて、出来事を後世に口頭で伝える方法は厳密で、それが慣習となっており、そのため多くの正確な記録がありました。聖書が伝説ではない理由は、出来事が起こってから書かれた日までの時間が短すぎること、またその内容が「非生産的すぎる」の2点です。当事者が生きている間は伝説など造ることはできず、またキリスト教にとってマイナスでしかない要素が無数にありますが、それでも書かれた理由は、それが事実だからです。
ルカは、イエスの説話集ではなく「物語」を残すと言います。その内容はイエスの教えではなく行動。イエスの行動が僕らを救うのです。教えは僕らを断罪するだけで、永遠の恐怖でしかない。だから僕たちは、教師ではなく、救い主を必要としています。そしてあなたの生きるべき生を生き、あなたの死ぬべき死を死なれたイエスによって、あなたは救われます。あなたの人生の物語の主人公はあなたではなくイエスです。イエスに働いて頂きましょう。