「キリストは、聖書にあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られ、三日目によみがえられたこと」とあるように、パウロはまずイエスの死について語り、その後で復活を語ります。「死んで蘇った」と。つまり、復活はどこかのおとぎ話ではなく、確かに死があり、その後に復活があったのです。つまりこれは、ワンツーパンチのようにセットで語られるべきものなのです。
「罪の報酬は死です」とある通り、死は罪のもたらす刑罰であり、それゆえにイエスは十字架で死なれた。が、復活はその刑を終え、釈放されたことの証拠です。イエスは私の代わりに死んで、私の代わりに支払い済みで、復活は神が僕らに発行された領収書なのです。人生の最後に、税務署の税務官より百万倍の権威を持つ方の前に立つ時、自分のために死んで復活されたイエスというオールマイティーな領収書を示せる人は幸いです。
あなたの人生の終わりは、刻一刻と近づいています。自然しかないなら、何が正しくて何が間違っているかを決める方法なんてありません。自然しかないなら、ネロや、ヒトラーが正しかったことになります。強い者が弱い者を傷つけるのが自然界なのだからとなる。死者がよみがえらないのなら、「さあ、飲め。食え。だって明日には死ぬのだから」となる。
しかし、復活があるなら、「私はどこにでも行きます。誰とでも戦います。相手が野獣でも戦います。」となる。復活した主のもとに行くなら全てが手に入ります。恐れずに戦う力が与えられるのです。愛がほしいですか。救われたことを知りたいですか。受け入れられていることを知りたいですか。山の上の、ザイルのトップにいる方は、決してあなたへの愛と献身をゆるがすことのない方です。この方とつながりましょう。