人間の共同体がこれまで失敗してきた理由は、そもそも人間と神がうまく行ってなかったことにある。もしそれがうまく行くなら、全ての関係が回復するのだ。イエスは新しいコミュニティーを作ると約束された。人間はもともとコミュニティーで生きる様にデザインされており、僕らはコミュニティーの外では、本当の美的な体験をすることも、自己像を持つこともできないのだ。
神の国は「今泣いている人は幸い」という、そんな価値観の大転換をその国の住人にもたらす。「泣いている」と「幸いだ」は、ともに現在形で語られており、これはパラドックスだ。しかし神の国の住人は、神から与えられた状況に左右されない祝福を持つ。その人は、マイナスが起こっても絶望することなく、より賢くそれに対処し、その結果苦々しい人間ではなく、やさしい人間になる。これが祝福の中身なのだ。
罪の本当の意味は「自己救済」、つまり自分自身を自分の救い主とすることだ。神の国に居続けるためには、まず自分は罪びとだと知ること。と同時に自分は神の子とされていることも知る必要がある。そしてその偉大な神に対する忠誠だけでつながる共同体が教会だ。似た者同士の集まりではないのだ。だからイエスはあえて「愛し合いなさい」という新しい戒めを僕らに与え、忍耐を求められた。