今の時代の仕事は、複雑で不安定、かつそこには成果が求められ、その上テクノロジーの進歩によってどこまでも追いかけて来ます。だからすべての人は過労状態にあります。一方安息日は、数千年前から存在する、我々をこの「疲れ」から脱却させる唯一の手段であり制度なのです。
「安息日を破った」と文句をつるパリサイ人に対し、イエスは「わたしは安息日の主だ」と言います。これは神宣言に等しく、パリサイ人たちは怒り狂い、この時イエスを殺すことを決めるわけです。が、それによってイエスがその後「安息日の主」となるのは皮肉です。
「仕事の下にある仕事」とは、自分を証明すること。つまり仕事に充実感と意義が求められわるわけです。が、それは常に不十分。この「内なる自己検閲」が疲れの源です。それから解放される唯一の方法がイエスのところに行くことですが、それが「安息日の主」の意味するところです。
天地創造の主は、み業の度に「よい」と言い、最後に「非常に良い」と言って休まれました。つまり成し遂げた時に「非常に良い」と満足することが真の休息なのです。神はイエスを通して私たちを「よい」と言い、イエスもみ業の最後に「終わった」と言いました。この両方の言葉を神から頂いているのがキリスト者なのです。
安息日はイスラエルの民が奴隷から解放された時に定められました。だから、もし休めないとしたら、あなたは奴隷です。自己救済の奴隷、家族の期待の奴隷、会社の奴隷・・・。それに気づいたら「私は世界を維持する者ではない。それは神のことだ」と宣言しましょう。そして仕事に自分を支配させない生活をスタートしましょう。