王は今も必要とされています。僕らは本当の王に戴冠したいのです。それは僕らが、創世記3章の「王の喪失と回復の予告」以来、その記憶の痕跡を心の中に持っているからです。正しい食糧がないとつい毒をむさぼるのと同じく、王なき世界では、億万長者やアスリート、映画スターなどがもてはやされ、彼らを崇拝するようになります。さて、あなたの人生に、真の王はいるでしょうか。
イエスは「この人たちが黙れば石が叫ぶ」と言い、誰も乗ったことのない子ロバに乗ります。子ロバは恐れず、大騒ぎする群衆の中を堂々と進んで行きますが、これがイエスの王国の平和です。石が叫ぶと言うのなら、僕らはどうなるのでしょう。イエスの支配が及ぶとき、僕らの潜在能力は発揮され、あらゆる恐怖から解放され、そのなるべきすべてとなるのです。
イエスはなぜロバを選んだのか。それは高貴さと親しみやすさ、力と脆弱さの、パラドックスの王として入城するためでした。イエスは12歳の過ぎ越しの祭りの時、この世に来た理由を天の父から告げられたのです。「あなたこそが真の祭司、真の神殿、真の犠牲であり、死んで世を救うために来た王なのだ」と。
従いイエスは「王とするか殺すか、どちらかを選べ。中間はない」と二択を迫ります。クリスチャンとはこの方を王とし、「イエスがなした御業によって私を受け入れて下さい」と言う者です。その時、王の霊が、あなたを、世界が必要としている者に形作ります。それは、強き弱者であり、正義と慈しみに満ちた者。イエスの霊が、そのパラドックスをあなたに成し遂げるのです。