神が人となって
ルカ1:26-45

苦難に直面すると僕らは答えを求めますが、本当に必要なのは、黙ってそばにいてくれる存在です。神は、そばにいて分かってくれる神となるために、受肉されました。かつ神は、この世界に来るのにマリアを選ばれました。それは貧しく、若く、女性であり、その子が未婚の母になるという、とにかく当時の社会にとっては、間違いグループ、ダメグループ、最も無力な人でした。が、そんなマリアを選んだのは、神の思いが天と地の全てを贖うことにあるということを示すためだったのです。

マリアはまた、まっすぐ、正直に疑うことの大切さも教えてくれています。それに対しザカリヤは、不誠実な疑いを持ち、拒否し、耳を閉ざしました。マリアの正しい疑いを持つには、知りたいという思いと謙遜さが必要で、そこには勇気が求められます。なぜなら答えが与えられるのは怖いことだからです。また完全に従う従順さも必要です。イエスとの関係を築く唯一の道は、自らを捨てること。つまりイエスに全ての権威をゆだねるのです。

マリアは最初喜んでなかったけれど、そのマリアに対し天使は「エリザベツの所へ行け」と言います。エリサベツは唯一神の御業を理解できる人。そこには想像を超えた深い交わりがあり、肯定と賛美がありました。共同体に入るには勇気が必要です。それは脆弱になる必要があるからです。が、そのために僕らは、イエスが何をされたのかを見るのです。希望とは平凡な中に輝きを見ることです。クリスマスを理解し、人生を変えて頂きましょう。