神はダビデを民のもとへ遣わすと約束される
Ⅰサムエル1:4-11, 2:6-10

古代においては、女性の生殖能力は不可欠であり、それがない女性は「存在価値がない」と烙印を押されてしまう。夫のエルカナは「私の愛の上にあなたの人生を築け」と薦めるが、ハンナは神に向かった。そして、「子供が授かるなら私はその子をあなたに捧げます」と神に誓うのだ。

それは「これまでは自分のために子供を望んできましたが、これからはあなたのために子供を望みます。今なら私に子供を授けても安全です。だから授けて下さい」という意味だった。これまで通りなら、いろいろななしがらみの中でその子を窒息させてしまっていたと悟ったのだ。

ハンナは、神は常に、美しいものではなく、弱さや貧しさを通して働かれるというパターンを見抜いた。そしてダビデに油注いだ預言者サムエルは、不妊と言われたハンナから生まれたが、未婚の母として疎外された処女マリアと、彼女から生まれたイエスは、その頂点だった。

我々の苦しみは決して無駄ではないが、その意味を我々が完全に理解することは一生かかってもできない。イスラエルはその子サムエル、ダビデ、そしてイエスによって救われる。つまり彼女の苦しみが有ってのイスラエルの救いだったのだ。

しかしあなたの苦しみを神がどう用いるかは、あなたには知る由もない。肝心なのは、神を愛し、神の目的によって召された者たちには、全てのことが働いて益となるという信仰だ。ハンナの指し示す究極の救い主イエスを見る時に初めて、神はあなたの苦しみを用いられるのである。