ヨセフは父ヤコブの人間的な愛情の上に間違ったアイデンティティーを築き、高慢に育ちました。そして、しなくていい「夢の報告」までし、いよいよ兄たちに憎まれます。夢を見ることはいいこと。でも、将来神の器として用いられ、その夢を成就するためには、試練を通して砕かれる必要があったのです。それがエジプトに売られ、濡れ衣で投獄され、2年間忘れ去られることでした。それらを通してヨセフは、神だけを頼る者へと変えられます。「主がヨセフとともにおられたので」はその大逆転劇の始まりの合図でした。 ヨセフは釈放後、総理大臣となります。この大抜擢の背景は、夢解きと進言が素晴らしかったこともさることながら、彼が自分との約束を忘れた献酌官長を責めず、ポティファルの奥さんの濡れ衣事件を赦したことにあるのではないかと言われます。なぜなら自分を売ったお兄さんたちのことも、「わたしをここに遣わしたのは、あなたがた(兄たち)ではなく神です」とヨセフは赦したからです。練られた品性は人に感動を与えます。ヨセフも試練によって作り変えられました。試練と、それによる成熟を喜べる人は幸いです(ヤコブ1:2-4)。 ヨセフはイエスの型と言われます。蔑まれ、捨てられ、でも最後は支配者となって全人類を救うイエス・キリストの型です。我々も大きな夢を見て、「神のなさることは、時にかなって美しい」と、神のタイムテーブルで、その実現に向けて神とともに歩んでいきましょう。そのために整えて頂きましょう。なぜならあのアンバランスだったヨセフが整えられ、その後の練られた品性が人を動かし、世界を変えたからです。ゆだね切る時、主は用いられます。