まことのぶどうの木と枝
ヨハネ15:1-6

神は僕らに与えたくて与えたくて仕方がなくておられます。いや実はすでに与えられていて、だから、「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイ7:8)と僕らに語るのです。でも、僕らはなぜか求めない。つまり、目の前に、神の用意 …

どん底に降りてこられる神
創世記28:10-22

ヤコブは長男の権利を兄から奪い取り、父の祝福まで横取りしたことで、兄に殺意を抱かれ、這う這うの体で一人ラバンの家に逃れます。その旅先での最初の夜、彼は神と出会うのです。どん底での神との遭遇。それは神自らが、情けない一人ぼ …

恐れるな、あなたの王が来られる
(関野祐二師)
ヨハネ12:12-19

イエスの王の立場を、ピラトは理解できませんでした。血を流す王?どうして?訳が分からなかったのです。軍馬にまたがる宮のきよめのリーダー、ユダ・マカバイオスのような王をみんな望んでいたのに、実際現れたイエスはロバに乗っていた …

イエスの与える平安
ヨハネ14:21-31

あなたのカレンダーは日曜スタートですか、それとも月曜スタートですか。クリスチャンは日曜スタートのものを用いる人が多いですが、それには理由があります。僕たち、戦う者たちには常におびえがあります。新しい週、職場の仲間の所に戻 …

二つの来臨
イザヤ60:1-3

イエスが初臨でなされたことは、ヨベルの年の借金棒引き、完全な解放でした。内容は3つ。一つは経済的・霊的な貧しさに打ち砕かれた人たちが解放されること。第2が囚われ人の解放です。僕らは人の評価というものにどうしても捕われてい …

ひとり子さえ惜しまずに
創世記22:1-18

イサクはアブラハムにとって、今や宝物中の宝物。でもそれが神以上になった時、イサク奉献の命令が神から下りました。それは、あなたの霊は死んでいないか、向くべき方向を向いているかという問いかけでした。これは僕らへの神の問いかけ …

もっと大きな業に向けての主の備え
ヨハネ14:15-21

イエスは、僕らはさらに大いなる業を為すと予告されました。それもご自分が世を離れることでそれが可能となると。その意味するところは、代わりに送られてくるもう一つの助け主である聖霊が、その時働き始めるということです。聖霊として …

イサクとイシュマエル
創世記21:1-13

ペテロの手紙は、サラのことを、神を恐れかしこむ良い生き方をしたと高く評価しています。が、実際のサラを見ると、神に望みを置くよりも人間的な解決を求めてハガルをアブラハムに与えたり、はたまたハガルが身ごもると今度は2人して自 …

王の面子と王妃のプライド
(坂野慧吉師)
エステル1:1-22

エステル記は不思議な書物で、神とか、祈りとか、信仰とかの言葉はそこには出てこない。が、読み終わった時に、ああ神はすごいと思える書物。だから正典として聖書に含まれているのだ。 クセルクセス王と王妃ワシュティーの対立は、ペル …