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生きるということ
ヨハネ4:43-54

拉致被害者、横田めぐみさんのお父さん滋(しげる)さんが亡くなられました。滋さんがどうしてここまで頑張れたのか?おそらくはイエスの励ましを直接受けて来られたのではないかと思います。それは滋さんがイエス同様、捕らわれ人を解放するために、世の逆風にさらされながらも巨悪に挑み続けた人だからです。「めぐみに会えなかったのが無念だ」と最後まで言っておられましたが、今めぐみさんの2人の弟さんたちが、この巨悪と戦い続けることを約束しておられます。 王室の役人は、息子の癒しをイエスに願い、イエスはそれに対して「あなたの息子は生きる」と語られます(ヨハネ4:50-53) 。そのことばを信じて帰途に就いた役人は、家にたどり着くまでにその息子が癒されたことを知り、このしるしを通して役人はイエスを信じ、家族も信じます。イエスの「生きよ」という命令に従うとき、そこには祝福が必ず追いかけて来ます。 横田家はクリスチャンファミリーです。めぐみさんがいつか救出され、滋さんと同じ信仰を持つなら、滋さんは天国でめぐみさんと会うことができるわけです。なんという希望でしょう。そして滋さんのこの悲願を達成するために家族が一つになって生きること、これが神の計画でなくてなんでしょう。イエスがどのような方かを知ること、これが信仰の第一歩です。 イエスはいのちの主です。「イエスに在って生きよ」という神の命令に従って生きる時、イエスは全責任を負って下さいます。

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出て行きなさい
マタイ28:16-20

黒人男性ジョージ・フロイドさん殺害事件と差別撤廃を訴える過激なデモが、全米を覆っています。が、その弟テレンスさんは、兄の殺害現場にハンドマイク一本で立ち、「暴動をおこすのは間違っている。そんな自滅行為はやめて、選挙に行って投票してください」と訴えました。彼は、建国以来の奴隷制度と人種差別の歴史、それに対する黒人の積年の怒りという巨大な敵に一人で立ち向かったわけです。キング牧師を彷彿とさせますが、クリスチャンであるテレンスさんがここまで大胆になれたのは、復活のイエスの、「わたしは天と地の一切の権能を預かっている。そのいのちと力をあなたに注ぐから、あなたは出て行け」の命令に応答したからだと、私は考えます。私たちも「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われるイエスに、遣わされて行こうではありませんか。それは5つのパンと2匹の魚を引っ提げて5000人の中に出て行くようなクレージなシーンかもしれません。が、神の期待はここにあります。Let’s go crazy! (英語では楽しもうという意味)イエスの権能のダイナミズムを、今こそ世の雑踏の中で楽しもうではありませんか。

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世界を愛せる人になりたい
ヨハネ4:39-42

プロレスの木村花が、ネットによる誹謗中傷を受けたことで、不幸な死を遂げたと報じられています。 アメリカでは白人警官が黒人を窒息死させたという事件が起きました。どうしてあそこまでできるのかと不思議になります。が、悪いやつをとっちめてやるという「間違った正義感」ほど、人間をおかしくするものはありません。すべての戦争は、正義対正義の戦いだからです。しかし憎しみに対して憎しみで応戦するかぎり、僕らは滅びの道を歩み続けることになります。その意味で今の世は、すでに限界まで来ているのではないでしょうか。神は、実に、ひとり子を賜るほどに「世」を愛されました。神の子キリストは「世の救い主」として来られ、人類が世界規模で愛し合い赦し合うひな型となられました。赦しがたい!と思う相手に対し「父よ彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのかわからないのです」というとりなしの祈りを捧げること。これが今、神の我々に期待する「神との共同作業」の中身なのです。

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種蒔きの喜びと刈り入れの喜び
ヨハネ4:27-38

私たちの人生の目的とは何でしょう。多くの人が「仕事」を人生の目的に挙げるのではないでしょうか。となるとどうしても勝ちたい、評価されたい、儲けたいという思いが強くなり、せっかくの仕事を楽しんだり喜んだりすることができなくなってしまいます。イエスキリストは、「父なる神のみこころを成し遂げることが、私の食事だ」と言われました。私たちの人生の本当の目的は,「神との関係を築くこと」にあります。そこに人生の基礎を置いた時、私たちは初めて自分の仕事を喜び、楽しみ、それを通して神のみこころを為し、また日々神からエネルギーを頂いて大きな力を発揮することができます。そのことを伝え、実践するために、私たち働くクリスチャンは世に遣わされているわけです。そしてこの福音宣教の働きは、蒔く者も、刈る者も、ともに喜びあえる働きなのです。

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一人を捜される主イエスキリスト
ヨハネ4:16-26、創世記28:10-22

僕たちは平安の人生を求めます。が、意に反して苛酷な環境におかれることもしばしば。そんな時「神様、どうしてですか?」と噛みつくような祈りをしてしまうこともあるんじゃないでしょうか?でも、あれがあって今がある、我が人生に必要だったと、その「荒野」を振り返って思えるとしたら感謝です。主イエスは サマリアの女性に会うために炎天下の荒野に出て行かれましたが、それと同じく、今あなたを捜しに出て来ておられます。大切なのはそのイエスと出会い、本気で向き合うこと。そしてもっと噛みついてもいいんじゃないでしょうか。主はあなたの主への信頼を喜んでくださり、必ずあなたの求めに応えてくださいます。

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いのちの水と出会う時
ヨハネ4:1-26、ホセア2:14-17

この世には、潤いに満ちた豊かな人間関係と、不毛の人間関係があります。皆が前者を求めますが、実際はなかなかうまくいかず、後者が世に溢れています。それは私たちが大切なものを見失っているから。それが「弱さ」なのだと聖書は教えています。僕たちは強さを好み、弱さを嫌います。生きていくためには強さが必要だからです。しかし全能の神イエスキリストは、弱い人間としてサマリアの女性の前に現れ、水を求められました。ここに彼女と神の出会いがあったのです。私たちはがんばっても弱くはなりきれません。でも全能の神が、わたしたちのために弱くなり私たちをたずね出してくださった、ここに答えがあります。

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ドクター ✞(クロス)の癒し術
ヨハネ21:1-17

「あんな奴は知らん、仲間でもなんでもない、一緒にするな!」と、一番大事な時にイエスを3度も呪って否定し、でもそんな自分に嫌気がさして外に出て号泣したペテロでした。直前まで「あなたのためには命も捨てます」と大見得切っていただけに、余計に情けなかったに違いありません。では彼はその後どのようなステップで変えられ、のちの教会の最高指導者にまでなったのか。もしイエスが死んでおしまいだったら、失意と破滅の人生だったはずです。が、主の御名は誉むべきかな。 イエスは復活されました。そしてわざわざペテロに会いに来られ、彼を回復させたのです。その手順は、まさに名医!でした。でこのはドクター✞(クロス)なるキリストが、瀕死の重病人ペテロに施された「心の大手術」とは、いったいどのような内容だったのでしょうか。

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みことばの光を持つ家庭
詩篇119:9,65,67,71,93,105

「ひみつのあッコちゃん」のお話はご存知ですか?魔法の鏡に向かって、「テクマクマヤコン」と唱えると、なりたいものになれるという赤塚不二夫のTVアニメで、それがリメイクされて綾瀬はるか主演の映画にもなりました。ところで私たちって、こうなりたい、ああなりたいと、いろんな夢を描いて大きくなってきましたが、いったい最終的には何になりたいんでしょうね。そして、理想の人生、理想の家庭とは?だいたい、そういうものはあるのでしょうか。聖書の詩篇119篇は、私たちがまだ気づいていない「理想」に向かうための、大切な指針を与えてくれます。

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喜びの声を聴くために
ヨハネ3:22-30

思うに任せない昨今ですが、その中で良いことがあったとすれば、それは真に見るべきものに多くの人が目を留め始めたこと。そして「天賦の賜物」——つまり各人に与えられた能力と働き場——をわきまえることはその一つです。バプテスマのヨハネは、自分はイエスキリストのベストマンであって花婿を超えるなどありえないと主張しました。僕たちの中には、どこか自分が崇められたい(まるで神の様に)というサタン的な欲求があり、それはヨハネの謙遜さは対照的です。が、謙遜さとは、努力の結果得られるものではなく、神との関係がはっきりしたときに初めて生まれて来る「果実」なのです。ですから私たちも、自らの天賦の賜物をわきまえ、ヨハネのごとく「あの方(イエスキリスト)は盛んになり、私は衰えなければならない」と告白したいと思います。それは神の子イエスキリストが、まず2000年前に、私たちを友と呼び、私たちのためにいのちを捨ててくださったからです。(ヨハネ15:13)

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呪いから祝福への大転換
ルカ24:13-35

エマオに向かってうなだれて歩く2人の弟子。でも彼らがイエスに寄り添われ、聖書の解き明かしを受け、食事の時それがイエスだとわかった後は、人が変ったようにエルサレムに向かって走りました。彼らがイエスから受けた「ご自身についての解き明かし」は、呪いが祝福に変えられていく歴史が、聖書の一貫したストーリーだという事。そしてその総仕上げがイエスの十字架だったのです。それに気づいた2人は、もううれしくてうれしくて・・・。あなたは、復活のイエスにもうお会いしましたか?あなたの前には、呪いの人生と、祝福の人生という、2つのチョイスが並んでいます。ぜひ、イエスの用意された祝福の人生を選び、猛ダッシュで栄光の人生を駆け抜けましょう。