都市への愛
使徒11:19-30
「都市ではキリスト教は死ぬ」という人がいます。が、キリスト教が二千年前に、ローマという大都市で大いなる発展を遂げたというのは歴史的な事実です。発展の理由の一つ目は、都市に住む奔放な人でないと、キリスト教の福音の新しさに耐 …
「都市ではキリスト教は死ぬ」という人がいます。が、キリスト教が二千年前に、ローマという大都市で大いなる発展を遂げたというのは歴史的な事実です。発展の理由の一つ目は、都市に住む奔放な人でないと、キリスト教の福音の新しさに耐 …
洗礼を受け、教会の会員となったとしても、その人の礼拝が変わらない限り、その人は変わりません。賛美とは、究極に何が大事かを認めた時に出てくるもので、回心は、神を心から賛美し、礼拝した時に起こります。たとえ道徳的になり、宗教 …
1964年に坂野師は救われた。その直前にパチンコで持ち金を全部すり、むなしい思いに浸って帰って来た時に、弟が「音楽と話の夕べ」のチラシを見せて、一緒に行かないかと誘って来た。その日、二人の宣教師から「カルバリ山の十字架」 …
もともと不幸で落ち着きのない男だったパウロが、あの日を境に不動の人間に変えられたわけですが、そのことが起こった第一の理由が、「自分の思い通りにならない神」との出会いでした。それまで彼の信じて来た神は、パウロ好みの神。しか …
放蕩息子の兄は、弟と同じく迷っていました。「父は出て来て兄をなだめた」とあるからです。兄は、からだは父のそばにありましたが心は離れていました。つまり兄は、神と共にいながら神を少しも知らないという恐ろしい状況にありました。 …
神を体験するには悔い改めが必要であり、それは我に返ることでもある。その時、世界を見る目が変わるのだ。弟は我に返って、父から離れようとしていた自分に気づいた。これが罪の本質であり、罪とはルールを破ることではないのだ。
ティムケラーは、あなたの善良さがあなたと神との障壁となっていると言います。それは、自分はまじめだし、これからも神なしで大丈夫という思いを起こさせるからで、これが兄息子の状態でした。それは、ただ自由を求めて父を離れた、一見 …
クリスチャンの比呂子さん(今の井上師夫人)から聖書を渡され、当時まだバリバリのやくざだった井上師は、マタイ5:30「右手が汚いなら切り落とせ。一緒にゲヘナに落ちるよりましだ」を読み、初めて自分の汚れた手を見て大泣きした。 …
キリスト教の改心は事実に基づいたもので、具体的には、神が人となり死んで蘇ったという事実に基づきます。実際蘇りのイエスに出会ったという人が当時数え切れないほどいましたが、この外的な証拠をもとに考えるのがその第一歩です。
パウロの伝道戦略は、徹頭徹尾「都市中心」、だからこそ「この地方には私の働くべき場所は残っていない」と断言できたのです。都市は新しい情報にオープンで、人の移動による情報の拡散も期待できる・・・それゆえ都市に福音を植え付けれ …