しかりのみの主イエス
Ⅱコリント1:19-20
事情が変われば言うことも変わるのが僕たちです。が、主イエスはあるがままに受け入れてくださる方。神の創造に失敗作はありません。僕らにとっては×(ぺけ)を付けることの多い自分ですが、神にとってはすべてが〇(まる)。だから僕ら …
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事情が変われば言うことも変わるのが僕たちです。が、主イエスはあるがままに受け入れてくださる方。神の創造に失敗作はありません。僕らにとっては×(ぺけ)を付けることの多い自分ですが、神にとってはすべてが〇(まる)。だから僕ら …
クリスマスには大きな恐れがありました。それは天使の光が羊飼いたちを明るく照らしたことから始まります。僕たちは罪ある者、それゆえに神の光に照らし出されることを嫌うのです。僕たちの人生には恐れが満ちています。でも天使は、恐れ …
人類の歴史はBCとADで分かれていますが、ADはラテン語の「主の年」の短縮形。教会の存在は、主が来られた証しです。主は「わたしにはあなたがたの知らない食物がある」と言われました。神のために働く者には、イエスと同じ「食物」 …
愛するマリアが妊娠!?なんというショックでしょう。「それは聖霊によるって?そんなこと誰が信じれるものか!いったいどう離縁するのが自分にとって正しい道か?」セルフトークの連続だったヨセフは、この時、「神なき正しさ」に生き、 …
さばきは主の専売特許。でもそのさばきに口をはさむことを、言い換えれば、盾突くことを、主はアブラハムに期待されました。ソドムの町の罪を赦すにはこれだけの正しい人が居ることが条件という「数字」を、主は50人からどんどん減らし …
アモンは悪王だったが、その後のヨシヤ王は善政を行い、宗教改革を断行した。そのもとになったのが、このゼパニヤの預言と言われる。9節「一つになって」の別訳は「一つの肩になって」。これは、肩を並べて祈り合う信徒たちの姿を表して …
江戸時代の武士、原主水(はら・もんど)は、キリシタン禁令の中で伝道したことのゆえに火あぶりとなったが、その子孫が銀座に十字屋という文書店を開き、それがのちに原女学院となった。女子学院の前身だ。そんな歴史を調べる中で都心で …
「信仰は望んでいることを保証し・・・」(1節)とあるが、日本には元来「信心」という言葉がある。「イワシのあまたも信心から」と。これは信じる心が大切なのであって、対象はどうでもよいという考え方。しかし聖書は「信仰」を語る。 …
ヨセフの長男の名は「忘却」を意味するマナセ。私たちには忘れてしまいたい過去がある。が、イエスはそのつらさを十字架に元に下ろせと言われる。それは簡単なことではない。だから、「主よ、私はあの人を赦せないのです」という祈りから …
イエスキリストがエルサレム入城の時に乗ったのは、馬ではなく子ろば、それもまだ人を乗せたことのない荷物用のろばの子だった。なんとたよりないことだろう。でもこの経験不足のろばを、イエスは弟子たちに「主がご入り用なのです」と言 …