このわたしは、あなたを忘れない
(野瀬裕志師)
イザヤ49:15-16

「どんな苦労にも耐えることはできるが、人から忘れられる寂しさに耐えるのは難しい。孤独は山にはなく町にある。また一人の人間にあるのではなく、多くの人の間にある。」と三木清は「人生論ノート」という本の中に書いている。 こうい …

古い人を脱ぎ、新しい人を着る
(早坂恭師)
コロサイ3:5-17

悪いことのとりこになっている人は傍から見ると一見楽しそうだが、実はそこに自分自身を傷つけるトゲが隠されている。しかし神は聖なる方であると同時に愛の方。ゆえに愛するひとり子のいのちを犠牲にしてまで私たちに救いを与え、その悪 …

ナオミと呼ばないで
(坂野慧吉師)
ルツ記1:19-22

旧約聖書ルツ記1章19-22節から 飢饉のユダを逃れ、ナオミ一家はモアブの地へ。現地で息子たちはモアブ人の嫁をめとり、そこまでは良かったが、しばらくして夫も2人の息子も死に、3人のやもめだけになる。その後、ユダの飢饉が終 …

私たちに注がれた神の愛
(相島功師)
創世記1:26-31

神は私たち人間を、神のかたちとして創造された。それゆえに私たちを愛し、また世界を管理する仕事をお任せになった。エデンの園のものは何を食べてもよかった。が、ただ一つのルールがあり、それは善悪の知識の木の実だけは食べてはなら …

礼拝の中で起こること
(渕野弘司師)
使徒20:7-12

神の前に死に、神の前に再びいのちを得る。これが私たちの礼拝における経験である。私たちは罪びとであり、すでに死んだ者。しかし主が下りて来て下さり、まだ命があると言って下さり、希望を与え続行けて下さる。それが我々のイエス経験 …

試練の時の神の支え
坂野慧吉師
ルツ1:1-22

ナオミは神を信じているが、いい事が続かない。それどころか、不幸を絵にかいたような状態だった。しかしそれを見てもなお、ルツはナオミと同じ信仰を持とうとする。なぜか。ナオミの人格に惹かれたのか。おそらくそうだろう。状況の良し …

弟子となる、弟子とされる
(寺村幸雄神学生)
マルコ1:14-20

イエスはすでに漁師である弟子たちに、「あなたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言われた。とるものがかわるだけで、今の生活の延長線上に答がある。かつ、決して大工や教師にしようなどと突飛なことは言われない。 これに応答して人 …

みじめさから始まる信仰
(山形宣洋神学生)
ローマ7:24-8:4

「わたしは本当にみじめな人間です」から始まるパウロの葛藤。なんと我々に共通した思いでしょう。しかしこれに対し、「しかしイエスと歩む者が罪に定められることは決してありません」と、パウロは自分自身と我々に向かって大胆に宣言し …