神に喜ばれる信仰
(服部真光師)
ヘブル11:1-3,6

「信仰は望んでいることを保証し・・・」(1節)とあるが、日本には元来「信心」という言葉がある。「イワシのあまたも信心から」と。これは信じる心が大切なのであって、対象はどうでもよいという考え方。しかし聖書は「信仰」を語る。 …

人生の2つの恵み/ヨセフの生涯の祝福
(滝田新二師)
創世記41:46-52

ヨセフの長男の名は「忘却」を意味するマナセ。私たちには忘れてしまいたい過去がある。が、イエスはそのつらさを十字架に元に下ろせと言われる。それは簡単なことではない。だから、「主よ、私はあの人を赦せないのです」という祈りから …

主がお入り用なのです
(三橋与志哉師)
マタイ21:1-11

イエスキリストがエルサレム入城の時に乗ったのは、馬ではなく子ろば、それもまだ人を乗せたことのない荷物用のろばの子だった。なんとたよりないことだろう。でもこの経験不足のろばを、イエスは弟子たちに「主がご入り用なのです」と言 …

このわたしは、あなたを忘れない
(野瀬裕志師)
イザヤ49:15-16

「どんな苦労にも耐えることはできるが、人から忘れられる寂しさに耐えるのは難しい。孤独は山にはなく町にある。また一人の人間にあるのではなく、多くの人の間にある。」と三木清は「人生論ノート」という本の中に書いている。 こうい …

古い人を脱ぎ、新しい人を着る
(早坂恭師)
コロサイ3:5-17

悪いことのとりこになっている人は傍から見ると一見楽しそうだが、実はそこに自分自身を傷つけるトゲが隠されている。しかし神は聖なる方であると同時に愛の方。ゆえに愛するひとり子のいのちを犠牲にしてまで私たちに救いを与え、その悪 …

ナオミと呼ばないで
(坂野慧吉師)
ルツ記1:19-22

旧約聖書ルツ記1章19-22節から 飢饉のユダを逃れ、ナオミ一家はモアブの地へ。現地で息子たちはモアブ人の嫁をめとり、そこまでは良かったが、しばらくして夫も2人の息子も死に、3人のやもめだけになる。その後、ユダの飢饉が終 …

私たちに注がれた神の愛
(相島功師)
創世記1:26-31

神は私たち人間を、神のかたちとして創造された。それゆえに私たちを愛し、また世界を管理する仕事をお任せになった。エデンの園のものは何を食べてもよかった。が、ただ一つのルールがあり、それは善悪の知識の木の実だけは食べてはなら …

礼拝の中で起こること
(渕野弘司師)
使徒20:7-12

神の前に死に、神の前に再びいのちを得る。これが私たちの礼拝における経験である。私たちは罪びとであり、すでに死んだ者。しかし主が下りて来て下さり、まだ命があると言って下さり、希望を与え続行けて下さる。それが我々のイエス経験 …

試練の時の神の支え
坂野慧吉師
ルツ1:1-22

ナオミは神を信じているが、いい事が続かない。それどころか、不幸を絵にかいたような状態だった。しかしそれを見てもなお、ルツはナオミと同じ信仰を持とうとする。なぜか。ナオミの人格に惹かれたのか。おそらくそうだろう。状況の良し …

弟子となる、弟子とされる
(寺村幸雄神学生)
マルコ1:14-20

イエスはすでに漁師である弟子たちに、「あなたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言われた。とるものがかわるだけで、今の生活の延長線上に答がある。かつ、決して大工や教師にしようなどと突飛なことは言われない。 これに応答して人 …