ナオミと呼ばないで
(坂野慧吉師)
ルツ記1:19-22
旧約聖書ルツ記1章19-22節から 飢饉のユダを逃れ、ナオミ一家はモアブの地へ。現地で息子たちはモアブ人の嫁をめとり、そこまでは良かったが、しばらくして夫も2人の息子も死に、3人のやもめだけになる。その後、ユダの飢饉が終 …
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旧約聖書ルツ記1章19-22節から 飢饉のユダを逃れ、ナオミ一家はモアブの地へ。現地で息子たちはモアブ人の嫁をめとり、そこまでは良かったが、しばらくして夫も2人の息子も死に、3人のやもめだけになる。その後、ユダの飢饉が終 …
神は私たち人間を、神のかたちとして創造された。それゆえに私たちを愛し、また世界を管理する仕事をお任せになった。エデンの園のものは何を食べてもよかった。が、ただ一つのルールがあり、それは善悪の知識の木の実だけは食べてはなら …
神の前に死に、神の前に再びいのちを得る。これが私たちの礼拝における経験である。私たちは罪びとであり、すでに死んだ者。しかし主が下りて来て下さり、まだ命があると言って下さり、希望を与え続行けて下さる。それが我々のイエス経験 …
ナオミは神を信じているが、いい事が続かない。それどころか、不幸を絵にかいたような状態だった。しかしそれを見てもなお、ルツはナオミと同じ信仰を持とうとする。なぜか。ナオミの人格に惹かれたのか。おそらくそうだろう。状況の良し …
イエスはすでに漁師である弟子たちに、「あなたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言われた。とるものがかわるだけで、今の生活の延長線上に答がある。かつ、決して大工や教師にしようなどと突飛なことは言われない。 これに応答して人 …
「わたしは本当にみじめな人間です」から始まるパウロの葛藤。なんと我々に共通した思いでしょう。しかしこれに対し、「しかしイエスと歩む者が罪に定められることは決してありません」と、パウロは自分自身と我々に向かって大胆に宣言し …
1.神のことばを自分自身に対するものとして聞く 2.聞いてしっかり守り従う 3.収穫まで忍耐する
NTライト「神とパンデミック」 今苦しんでいるのは誰か?自分にできることは何か?そのために誰を遣わすか? 神の宣教は、福音の真理を伝え、社会的責任を果たすこと。模範はイエス・キリスト。