キリストのまなざしを知る
Ⅰヨハネ3:1-3
2000年前の今日、イエスキリストは、墓を打ち破り、死から復活されました。十字架の直前、イエスを「知らない」と3度否認したペテロは、そのことゆえに恐れと後悔にさいなまれていたはずです。が、その彼に対し、復活のイエスが最初 …
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2000年前の今日、イエスキリストは、墓を打ち破り、死から復活されました。十字架の直前、イエスを「知らない」と3度否認したペテロは、そのことゆえに恐れと後悔にさいなまれていたはずです。が、その彼に対し、復活のイエスが最初 …
人生に向かい風はつきものです。が、その時、主が何をされているのかを僕らが想像することはほとんどありません。主はあなたのために祈っておられるのです。それでも解決できず、舟が進まないなら、イエスはその渦中にまで下りて来て下さ …
アブラハムは、北の王の攻撃を受けて誘拐されたロトたちを救出しますが、その帰り道、メルキゼデクという不思議な祭司から神の祝福を受けます。アブラハムは、自分の成功が神によるものだということは知っていました。が、いよいよ、その …
「わたしは光の子だ」と言い切れる者は居ませんが、一方で「あなたは闇の子ですか?」と聞かれて、そうですと認める人も居ないでしょう。つまり、全ての人は光と闇の間を歩いており、どっちつかずの生き方をしているということです。でも …
アブラハムはエジプトで、妻のサラを自分の妹と偽ってエジプト人に進呈するという、大変な間違いを犯しました。それは恐れから出た失敗でした。その時彼は、神の守りというものが分からなくなってしまっていたのです。その後アブラハムが …
僕たち人間は神のかたちに造られ、それゆえ僕たちは人格を持つのです。が、世にはモノと人格の戦いがあり、人格を持たない世のあらゆる被造物は、僕らを常に非人格化しようとするとパウロは言います。 しかしキリストを通して知る神の愛 …
僕らは何を愛して生きているのでしょう。結局は「人からの誉れ」かもしれません。それは魅力的です。人に褒められて気分の悪い人はいないからです。だから、人の評価を気にしない、人を恐れない生き方というのは、言うは易く、そう簡単に …
召し、コーリングを受けるとは、神からの促しを受けること。そして心が変えられること。ただこれはあくまで「促し」であって強制ではありません。だから逆らうこともできるのです。でもそれは神があなたを祝福したくて、そのためにあなた …
バベルの塔は、為政者が人々の多様性を封じ込め、すべてをコントロールすることで、その建設は行われました。必要な人員を集め、一つの言語に統一したのです。しかし、神はそれを見過ごすことなく天から降りてこられ、セム、ハム、ヤフェ …
洪水の後、空にかかった虹の「契約」を、神は人間と結んでくださいました。でもこれは人間の結ぶcontractではなく、一方的な恵みの契約、covenantでした。ノアに対し、「もう滅ぼさない」という約束。何をしたからでもな …