主の光に引き上げられて
ヨハネ12:27-36
私たちは人生において、自分自身に幻滅することがどれほど多いかと思います。それは、世的な基準で評価した結果が悪かったり、他の人と比べて見劣りしたり、理想としていた基準に達せずそのギャップに苦しんでという場合がほとんどです。 …
礼拝メッセージは Apple Podcast、YouTube で視聴ができます。
私たちは人生において、自分自身に幻滅することがどれほど多いかと思います。それは、世的な基準で評価した結果が悪かったり、他の人と比べて見劣りしたり、理想としていた基準に達せずそのギャップに苦しんでという場合がほとんどです。 …
昨年の東京オリンピックでは多くのゴールドメダリストの勇姿が報じられ、まさに栄光のラッシュでした。本領を発揮し人生の頂点に立った人たちの笑顔は、今も目に焼き付いています。イエスもここで「人の子が栄光を受ける時が来た」を言わ …
しゅろの主日は、イエスキリストがエルサレムにロバに乗って入城された日曜日のことです。群衆は「ホサナ!今お救い下さい」と歓呼の声をあげました。が、その5日後には、この同じイエスを十字架にかけて殺すのです。これらすべてをご存 …
あなたには未来に対する計画がありますか?友達はいますか?デボーションが義務になっていませんか?この3つにネガティブだと、ユダの罪に走る可能性があるし、最後は燃え尽きる可能性すらあると、「牧師のレジリエンス」という本を書い …
皆さんはヨセフの立場で処女降誕をとらえたことがあるでしょうか。おなかの子は神の子だと夢の中で天使に告げられても、それだけで100%納得がいくでしょうか。「俺はただのお人よしで、世界一の大バカ者かもしれん。」そんな疑問を打 …
僕らは人生の中で、色々な選択をします。でも、自分の人生を振り返ると、その根幹部分が、努力の結果や熟慮の末に選択したことによって決まるのではなく、「出会い」によって決まってきたことを発見します。つまり神のご計画、摂理が、人 …
キリストの受肉は奇跡中の奇跡です。それは、陶器師が、陶器になられたということ。それも壊されるために。この神の「変容」が分かった時、僕たちも初めてキリストに似た者として変えられて行くのです。 ダビデは主の箱が戻ったことを喜 …
僕たちは頑張ることを求められる世界にいます。その結果、頑張った末できなかった時には自信を失い、できた時には傲慢になります。それは決して「当然のこと」ではなく、僕たちが福音に生きていないことから来る残念な結果なのです。 「 …
僕たちは、奇跡を見たら信じるのではないかとつい思います。でも聖書は、奇跡を見ても信じなかった人がたくさんいたことを伝えています。僕たちの信仰は、奇跡を見るか、人生がうまくいっているかには関係なく、みことばに応答することに …
日本人も、ギリシア人も、世界のもとの状態は死んだもので、そこには命はなく、無だったと考えます。命はその上に一瞬咲いたあだ花みたいなもの、だから最後は死に帰ると考えるのです。でも聖書はまったく逆のことを言います。初めにある …