クリスチャンとしての成熟・福音篇
マルコ1:9-11
僕たちは頑張ることを求められる世界にいます。その結果、頑張った末できなかった時には自信を失い、できた時には傲慢になります。それは決して「当然のこと」ではなく、僕たちが福音に生きていないことから来る残念な結果なのです。 「 …
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僕たちは頑張ることを求められる世界にいます。その結果、頑張った末できなかった時には自信を失い、できた時には傲慢になります。それは決して「当然のこと」ではなく、僕たちが福音に生きていないことから来る残念な結果なのです。 「 …
僕たちは、奇跡を見たら信じるのではないかとつい思います。でも聖書は、奇跡を見ても信じなかった人がたくさんいたことを伝えています。僕たちの信仰は、奇跡を見るか、人生がうまくいっているかには関係なく、みことばに応答することに …
日本人も、ギリシア人も、世界のもとの状態は死んだもので、そこには命はなく、無だったと考えます。命はその上に一瞬咲いたあだ花みたいなもの、だから最後は死に帰ると考えるのです。でも聖書はまったく逆のことを言います。初めにある …
僕たちには日々心騒ぐことが起こります。が、イエスが心を騒がされ、涙された。愛する者たちに死と絶望をもたらす、悪の源なる悪魔に対し、愛の憤りをもって挑み、勝利をされた。それがラザロ復活劇であり、そこから始まる十字架への道で …
僕たち人間は神のかたちに造られ、男と女に造られたと聖書にあります。それは三位一体の愛の関係をこの地上で完成するのは夫婦であるということ。認め合い、愛し合い、互いを尊敬し、個性を生かし、なおかつ独立している、そんな理想の夫 …
イエスの出発が遅れたため、到着した時にはラザロは死んで4日も経っていました。イエスがそこに居なかったためにラザロは死んだと思ったマルタは「あなたがおられたらラザロは死ななかっただろうに」と言いました。本当にそうでしょうか …
キルケゴールは、絶望こそが、人間にとって最も恐るべき「死に至る病」だと言いました。そしてこの絶望の出方には2種類あって、一つは自分の弱さにムカつきながら生きるという症状。もう一つが自分のやり方にこだわり、猛烈な自己主張に …
祈りの習慣はありますか。それは、「お願いリスト」を空に打ち上げるような祈りになっていませんか。そうではなく、イエスキリストは、まず神が何を求めておられるかを知るために神のそばに行く祈りをせよ、神とともに過ごしたいという思 …
僕たちの人生には、あの事さえなかったらということがたくさんあります。失敗、挫折、そして人と比べてどう考えても自分に足りないもの、欠点、欠陥、適性不足・・・。神は愛、全知全能と言われても、自分に関してはそれが感じられず、「 …
神は僕たち人間を「あなた」と呼び、人格的交流の対象とされました。それが「神のかたち」の意味するところです。が、あなたは神を、モノあつかいをしていませんか。良い道具を捜すかのように、良い事だけをしてくれる神を捜すことを「偶 …