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「イエスの同情」
ヘブル4:15-16

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「神と罪びとが和解した」
コロサイ1:19-23

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「イエス、私たちの王」
コロサイ1:9-17

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「花のエペソ宣教」
使徒19:8-20

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「信徒牧会者は教会の柱」
使徒18:1-11,24-28

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「未知なる神へ」
使徒17:16-34

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「人生の転換点」
使徒16:13-34

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神がともにおられるってどういうこと?
(浜岡みのり師)
士師記6:11-16

GODISNOWHERE. をどう読むか。GOD IS NOW HERE(神は今ここに居られる)ともGOD IS NOWHERE(神はどこにも居られない)とも読めます。どっちに読んでも、世は変わらず存在します。僕たちの人生には、たとえ神が共にいて下さっても、つらいことがあります。つまり神はご利益(りやく)の神ではないのです。では神は何を下さるのか。

僕らはつい、他人と比較したり、自分の無力感に落ち込んだりしがちです。が、神は、そんな僕らにも「行け、あなたの力で」と言われます。僕らは「まだ若いです。弱いです。ダメです」と叫びますが、神は言います。「わたしはあなたが果たす分と、それをこなす力をすでにあなたに与えている」と。(ピリピ4:13参照)

神は僕らの思いもしない方法でその御心を成し遂げられます。神は僕らのために、そのいのちを投げ出されました。神は僕らに和解と赦しといのちを与えるために来られたのです。神はいつも僕たちの斜め上を行かれる方。その方を見上げ、御心を問いつつ、お従いしましょう。それが永遠のいのちに生きることだからです。(ヨハネ17:3) 

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神の御心に生きる人生
使徒12:1-24

ヤコブとペテロは、両方ともヘロデによって投獄され、ヤコブはすぐに切り殺されますが、ペテロの場合はそのあと、至れり尽くせりの脱出劇が展開します。この違いは何なのか。ヤコブが捕まった時も、教会がヤコブのために祈らなかったはずはないからです。これは神の御心によるのです。

教会の特権は、祈りによって神の御心を知ることが出来ること。祈りつつ、途中でそれを知ることは出来なくても、最後の結果から容易に御心を知ることが出来る。だから教会は祈りを通して神と一つになることが出来るのです。このお尻の閉まり方は偉大です。

教会はヤコブの殉教を、信仰を持って受け止めたはずです。同様にペテロに起こった信じがたい出来事も受けとめた。両方ともイエスが与えて下さった信仰こそが勝利の秘訣なのです。「世に打つ勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」

神の御心が、教会の祈りによって左右されるのかというと、そうではないはずです。飼いならされていないライオンのように、僕らの思い通りにならない神こそがまことの神というのが、神理解の基本。僕らは祈りによって信仰を保つことが出来るし、祈りによって神と一つにさせて頂くのです。

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心の貧しさ
(野口恭一師)
マタイ5:3、黙示録3:17