第三の道としての福音
ルカ18:9-14
僕たちは、礼拝出席も、「宗教的」な正しい行いの一部として、行っている場合があります。「宗教的」な理由で礼拝に出席するとは、自分が出席しないなら、神やほかの人がどう反応するかということを恐れて出席する場合です。あるいは、出 …
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僕たちは、礼拝出席も、「宗教的」な正しい行いの一部として、行っている場合があります。「宗教的」な理由で礼拝に出席するとは、自分が出席しないなら、神やほかの人がどう反応するかということを恐れて出席する場合です。あるいは、出 …
「人生の砂漠」のようなところを通らされることは、誰にでもあります。砂漠とは、コントロールのきかない厳しい環境のこと。でも、たとえそんなところに置かれても、絶望しないことです。信仰の先輩たちは皆、それぞれの砂漠を通りました …
「子どもたちを私のところに連れてきなさい。子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに入ることはできません」とイエスは言われました。子どものようになるとはどういうことなんでしょう。皆さんの「子ども」のイメ …
職場にあって、どうしてこんなことを要求されるのかと悩むことって、誰にもあると思います。こんなことに悩んでいること自体が、クリスチャンとしておかしいんじゃないかと、ダブルで悩むクリスチャンも多いと聞きます。でも、すべてにシ …
僕らは、神様に何かを求める時、正しい求め方をしているでしょうか。一番悪いのが求めない事。でも、もう一つの間違いは、求めて、そのあと明け渡さないことです。イエスは十字架を前に「この杯を取り除いてください」と祈られましたが、 …
ザアカイは取税人という、すべてのユダヤ人から嫌われる仕事をし、大の嫌われ者で通っていました。イエスはいちじく桑の木の下から、その木の上にいるザアカイに目を向けて近づかれます。が、イエスは決して、ザアカイが友達もなく、不遇 …
あなたは、ご自分の仕事場で、つい真剣になりすぎて人とあらぬ摩擦を起こし、それ故に互いが傷ついてしまったということはないですか?この期待に応えたい!あの人を満足させたい!これまで築いた評価を落としたくない!といつもどこか必 …
放蕩息子は父を傷つけ、父の財産を湯水のように使い果たしました。が、父はその悔い改めた弟息子を受け入れました。ところで兄息子は父の何を求めていたのでしょうか。実は兄息子も弟と同じく、父自身を求めていたわけではなく、父の財産 …
つぶやきってどんな時に出て来るか知っていますか?不平不満があって、それが内にこもっている時です。どうしてそれが祈りに発展しないのか?それは全てをつかさどる神を信じていないからです。そんなつぶやき癖のある私たちにイエスは3 …
あなたは「広い門からではなく、狭い門から入りなさい」と言われたらどうですか?きよい生活をして、いい人になりなさいと言われているような気がしますか。でも、イエスのこの言葉はそういう意味ではありません。「狭い門」とは、ただイ …