わたしの時はまだ来ていない
ヨハネ7:1-13

イエスキリストはご自分の「時」をしっかり持っておられました。それは「なすべきこと」がわかっていたこととも言えます。十字架にかかり、死んで三日目に復活し、天に昇ること、これがイエスの人生目的であり、33年のご生涯はここ一点 …

今日から別の道
マタイ2:1-12、ルカ1:39-42、詩篇113:4-9

マタイ2章には、「ユダヤ人の王の誕生」の知らせを受けて動揺するヘロデ王の姿が描かれています。その動揺するヘロデを見て一緒に動揺したのが、側近の宗教学者と高官たち、そしてエルサレムの住民でした。ヘロデは自分の王位を狙う妻や …

すべての人が」
マルコ6:14-30

ヘロデ王は、神からの預言者、バプテスマのヨハネを殺害します。が、その動機は、ただ酒の席での失言の埋め合わせでした。踊りを踊った少女に、「褒美として何でも与える」と公言し、それに対して、いつもヨハネに苦言を呈されてきたへロ …

アドベントとは待ち望むこと
ルカ1:5-25

今年一年を振り返って、どうでしょう。あなたの祈りはかなえられたでしょうか。それとも、ずっと祈っている祈りなのに、今年もかなえられずに終わりそうだという状況でしょうか。両方あると思います。後者については、神は自分のことを忘 …

あなたを探す神
(大嶋重徳先生)
ルカ15:1-7

羊が逃げたら、99匹を置いてその1匹を探すという聖書の話を聞いて「あほちゃうか」と思った。99匹を置いておくリスクはどうするんやと。でもそれほどに、その一匹をあきらめない方が主イエスなんです。そんなことは人間にはできませ …

選ばれた12分の11になるために
ヨハネ6:67-71

ユダが12弟子のひとりとして選ばれていながら、ほかの11人と違う道をたどった理由は何だったのか?この12人に対する選びにはどういう意味があり、僕らが11人になるには、どうすればいいのか。それを解く鍵は3つです。1つは「イ …

第三の道としての福音
ルカ18:9-14

僕たちは、礼拝出席も、「宗教的」な正しい行いの一部として、行っている場合があります。「宗教的」な理由で礼拝に出席するとは、自分が出席しないなら、神やほかの人がどう反応するかということを恐れて出席する場合です。あるいは、出 …

理想と現実のはざまで
ハガイ2:3,6,7,9、詩篇23

「人生の砂漠」のようなところを通らされることは、誰にでもあります。砂漠とは、コントロールのきかない厳しい環境のこと。でも、たとえそんなところに置かれても、絶望しないことです。信仰の先輩たちは皆、それぞれの砂漠を通りました …