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いのちの水と出会う時
ヨハネ4:1-26、ホセア2:14-17

この世には、潤いに満ちた豊かな人間関係と、不毛の人間関係があります。皆が前者を求めますが、実際はなかなかうまくいかず、後者が世に溢れています。それは私たちが大切なものを見失っているから。それが「弱さ」なのだと聖書は教えています。僕たちは強さを好み、弱さを嫌います。生きていくためには強さが必要だからです。しかし全能の神イエスキリストは、弱い人間としてサマリアの女性の前に現れ、水を求められました。ここに彼女と神の出会いがあったのです。私たちはがんばっても弱くはなりきれません。でも全能の神が、わたしたちのために弱くなり私たちをたずね出してくださった、ここに答えがあります。

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ドクター ✞(クロス)の癒し術
ヨハネ21:1-17

「あんな奴は知らん、仲間でもなんでもない、一緒にするな!」と、一番大事な時にイエスを3度も呪って否定し、でもそんな自分に嫌気がさして外に出て号泣したペテロでした。直前まで「あなたのためには命も捨てます」と大見得切っていただけに、余計に情けなかったに違いありません。では彼はその後どのようなステップで変えられ、のちの教会の最高指導者にまでなったのか。もしイエスが死んでおしまいだったら、失意と破滅の人生だったはずです。が、主の御名は誉むべきかな。 イエスは復活されました。そしてわざわざペテロに会いに来られ、彼を回復させたのです。その手順は、まさに名医!でした。でこのはドクター✞(クロス)なるキリストが、瀕死の重病人ペテロに施された「心の大手術」とは、いったいどのような内容だったのでしょうか。

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みことばの光を持つ家庭
詩篇119:9,65,67,71,93,105

「ひみつのあッコちゃん」のお話はご存知ですか?魔法の鏡に向かって、「テクマクマヤコン」と唱えると、なりたいものになれるという赤塚不二夫のTVアニメで、それがリメイクされて綾瀬はるか主演の映画にもなりました。ところで私たちって、こうなりたい、ああなりたいと、いろんな夢を描いて大きくなってきましたが、いったい最終的には何になりたいんでしょうね。そして、理想の人生、理想の家庭とは?だいたい、そういうものはあるのでしょうか。聖書の詩篇119篇は、私たちがまだ気づいていない「理想」に向かうための、大切な指針を与えてくれます。

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喜びの声を聴くために
ヨハネ3:22-30

思うに任せない昨今ですが、その中で良いことがあったとすれば、それは真に見るべきものに多くの人が目を留め始めたこと。そして「天賦の賜物」——つまり各人に与えられた能力と働き場——をわきまえることはその一つです。バプテスマのヨハネは、自分はイエスキリストのベストマンであって花婿を超えるなどありえないと主張しました。僕たちの中には、どこか自分が崇められたい(まるで神の様に)というサタン的な欲求があり、それはヨハネの謙遜さは対照的です。が、謙遜さとは、努力の結果得られるものではなく、神との関係がはっきりしたときに初めて生まれて来る「果実」なのです。ですから私たちも、自らの天賦の賜物をわきまえ、ヨハネのごとく「あの方(イエスキリスト)は盛んになり、私は衰えなければならない」と告白したいと思います。それは神の子イエスキリストが、まず2000年前に、私たちを友と呼び、私たちのためにいのちを捨ててくださったからです。(ヨハネ15:13)

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呪いから祝福への大転換
ルカ24:13-35

エマオに向かってうなだれて歩く2人の弟子。でも彼らがイエスに寄り添われ、聖書の解き明かしを受け、食事の時それがイエスだとわかった後は、人が変ったようにエルサレムに向かって走りました。彼らがイエスから受けた「ご自身についての解き明かし」は、呪いが祝福に変えられていく歴史が、聖書の一貫したストーリーだという事。そしてその総仕上げがイエスの十字架だったのです。それに気づいた2人は、もううれしくてうれしくて・・・。あなたは、復活のイエスにもうお会いしましたか?あなたの前には、呪いの人生と、祝福の人生という、2つのチョイスが並んでいます。ぜひ、イエスの用意された祝福の人生を選び、猛ダッシュで栄光の人生を駆け抜けましょう。

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人生の真珠
Ⅰコリント12:7-10

人生を振り返ると、誰にでも「あれさえなかったら」という事件や出来事の一つや二つはあるのではないでしょうか。でもそんな、災難、失敗、マイナスとしか思えない出来事が、実は後になってプラスになるのだと聖書は伝えています。その一つがパウロの「とげ」でした。パウロはそれがなくなるようにと、ある時期必死に祈りましたが、結局願いは聞かれず、その「とげ」は生涯残ります。のみならず、苦しむパウロに対し主は、「わたしの恵みは、あなたに十分だ。なぜなら、わたしの力はあなたのその『弱さ』のうちに完全に現われるからだ」とまで言われました。この「弱い時にこそ強い」という、まるで矛盾した言葉としか思えない中に、神の真理があります。これを知った時私たちは、神の前に謙遜でありながら誇り高い、ハイブリッドな人生をスタートすることができるのです。

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あなたは大切なバラだから
ヨハネ3:16-21

「福音ってなに?」と聞かれたら、「神は私たちを愛された」が福音だよ!と、答えられるでしょうか? さらに「どれぐらい愛してくれたの?」という質問には、「僕らは神を捨てたのに、神は僕らを捨てなかった。いやいや、捨てないどころか、そんな僕らのために十字架にまで掛かってくれた、それぐらい愛されたんだよ」が答えでしょう。そこで「どうして十字架が必要だったの?」と聞いてくるなら、「捨てたことで、僕らの上に呪いとさばきが降りかかるはずだったのに、それをも御子がひっかぶってくれたんだよ」と。じゃあ「なんで神様は、そこまで?」ときたら、どうします?その答えが、今日の説教題なのです。

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新しく生まれるために
ヨハネ3:1-15

みなさんは、ご自分のことを頑張り屋さんだと思いますか。9割の人がYESと答えるかもしれませんね。頑張ることは素晴らしいこと!そしてその先に勝利と栄光があり、幸せな人生が待っているよと・・・これが私たち日本人が小さいころから教えられてきた内容です。そして、ほぼこれとおなじことを追求していたのがパリサイ人でした。がんばってきよい生活を送るなら、神のめぐみを味わい、神の支配を現実の世界で見ることができると彼らは本気で信じていたのです。決して間違いではないけれど、そこには 唯一・最大・致命的な欠点がありました。それはイエスキリストを見ていなかったこと。あなたはどうでしょう。そして、主を見上げるとは、どういうことなんでしょう?

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全てを見通す主
ヨハネ2:23-25

この世の終わりには神のさばきがあると聖書は言います。そしてそのさばきの前に立ちおおせる人は一人もいないと。それは僕らが、どこまで行っても自己中心だからです。つまり自分さえよければOK、他人は二の次!・・・それが僕らの心を占める不動の優先順位であり、このさんざんたる有様を主は全部見通しておらるというのです。おそろしいことです。が、そんな僕らのために、神はその独り子であるイエスキリストをお送りくださり、本来愛せるはずのない私たちを愛して、愛して、愛し抜かれた。このパラドックスに満ちた神の愛が、聖書全巻を貫く中心テーマです。

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イエスこそ神との出会いの場
ヨハネの福音書2:13-22

あなたはウイークデーの昼間、神を見上げ、そこから平安や安息を得ることはありますか。なかなかむずかしいかもしれませんね。でも神にお会いできる場所は、日曜日の礼拝堂だけではありません。イエス様は「わたしは3日で神殿をよみがえらせる」と言われました。これは皆さんお一人お一人の「心の神殿」を指しています。内在のイエス様、それこそが神との出会いの場です。東京センターチャーチは建物を持たない教会です。そして皆さんが、心の神殿、内在のイエス様を通して、日々神とお会いし、安らぐことを応援しています。主はモーセに「わたしがともに行く。私が遣わす」と言われました。さあ、今日も、このイエス様に遣わされて、そしてこのイエス様とともに、あなたの持ち場に出て行きましょう。