どこまでもあきらめない方
(野口恭一師)
マタイ12:15-21
あなたを支援するために神のしもべは神から送られて来ます。それは次にあなたが、神のしもべとして誰かを支援するためなのです。同じ思いの神のしもべたちはいます。その集まりが教会です。 イエス・キリストは傷ついた葦を折らない方。 …
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あなたを支援するために神のしもべは神から送られて来ます。それは次にあなたが、神のしもべとして誰かを支援するためなのです。同じ思いの神のしもべたちはいます。その集まりが教会です。 イエス・キリストは傷ついた葦を折らない方。 …
ファラオは、元奴隷のイスラエル人を取り返すために戦車600両で追いかけてきました。そして「俺たちに仕えろ、さもなくば殺す」と叫びました。実は、僕たちが「自分はこのために生きる」と頑張っている、「これ」も、一歩間違うとそれ …
過ぎ越しの祭りは、ユダヤ教徒にとって、私たちの神はこういう神ですということを表す一番大切なお祭りでした。それと同様に聖餐式は、キリスト教徒にとって、私たちの神を表す中心的な儀式です。それは「無力な者の血まみれの死」を表す …
神の命令を守らない人に対して、神は何の罰も用意しておられず、そこには自然の成り行きのみがあります。神の命令が自然であれば、それを守らない人の迎える結果も全く自然なのです。神は我々に「わたしより大切なものを作るな」と命じま …
僕たちは人生の回り道をしています。それは間違った仕事、会社、人間関係など。でも実際僕らは、その荒野のど真ん中で神と出会うのです。それも何度も。これがマクロの回り道。つまり、回り道のように見えて、これは霊的現実と出会うため …
牧会歴34年の高橋秀典師は、ある時、自分は非常に傷つきやすい人間であることに気づいたと言う。クリスチャンは、強いはず。傷つきやすいのは信仰が足りないのではないかという考えを持つ人もいるが、詩篇は、ダビデも、イエスも、我々 …
出エジプトのテーマは、脱出、解放、自由ですが、モーセはファラオに「神を礼拝するために民を行かせよ」と言いました。生ける神に仕えない限り僕らは罪の奴隷だからです。誰もが何かのために生きていますが、真の解放と自由を得るために …
イエスはなぜ十字架にかかられたのか?それは地獄を見るためだったのです。からだの渇きも、魂の渇きも、最後は僕たちを死に追いやります。そして魂の渇きは、神以外のものを心の中心におくところに発生する現象です。主は十字架上で「わ …
自分から変身して熱帯魚になり話しかけない限り、魚たちは飼い主のことはわからない。いくら魚たちのために環境を整え、エサをあげ、心を込めて世話をしても、魚たちの自分への思いは「恐怖」であって、人間の神への思いもこれと同じ。だ …
福音は良い助言ではなく良い知らせ・・・マタイは、イエスにつながる系図を「事実」として伝えています。そこから始まるクリスマス物語、そして黙示録におけるキリストの再臨。それらを「昔々あるところに」の神話でなく、事実として信じ …