父との祝宴におけるイエス
ルカ2:41-52
「少年イエスのエルサレム残留事件」では、心配して捜しに来たマリアとヨセフに対し、「どうして私を探したのですか。私が父のところに居るのが当然であることをご存じなかったのですか」と逆に彼らを叱責しました。この時イエスは、成人 …
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「少年イエスのエルサレム残留事件」では、心配して捜しに来たマリアとヨセフに対し、「どうして私を探したのですか。私が父のところに居るのが当然であることをご存じなかったのですか」と逆に彼らを叱責しました。この時イエスは、成人 …
「三位一体がわからないこと、キリスト教会の最大の弱点はここにある」と、20年前、当時の浦和教会主任牧師の坂野師が、説教で語っておられたと言う。そこに愛の原点があるからである。「神は愛なり」(Ⅰヨハネ4:8,16)とあるが …
復活のイエスがガリラヤ湖で漁をする弟子たちに出会ったときのメンバーは7人。彼らは性格的にも、モノの考え方も、ばらばらの7人でした。疑り深いトマスと、何でもすぐに信じてしまうナタナエル。考えて分析しそれでも動かないヨハネと …
人は誰でも一度は死に、死んだら裁きを受けると聖書は言います。裁きの基準は神のみことば。だから神を信じることは大切なのです。その中身として次の3つのことが求められています。
パリサイ人が、イエスがマタイをはじめとする取税人、罪びとたちと食事をしているのを見て非難したのは、それによる汚れの感染を恐れていたためでした。律法の食事規定はこの感染を防ぐための方策だったのです。イエスは言われます。「あ …
あの時代の夕食は、家族生活の中心でした。電灯はなく、たいまつとランプだけ。街灯もないから、夕食後歩いて帰る人はおらず、そこに誰かを招き入れるというのは、その人を家族生活の中心に巻き込むこと。それこそがイエスの願っておられ …
僕らの人生は既に神に買い取られている。神が所有者。と分かると、自分だけでなく神とともに計画を立てて行くところに、その確かさがあると分かる。そしてその時、僕たちの人生は神のご計画通りの人生になるのである。 では僕たちの本当 …
イエスは懐疑論者たちに立ち向かいます。が、その最後になぜか、貧しいやもめがレプタ銅貨2枚を献げたお話が載っています。どうしてあんなギスギスした議論の最後に、この逸話が載っているのか。ずっと分からずに来ました。が、これが分 …
イエスは、「クリスチャンになるとは幼子のようになること」と何度も言っています。それはどんなことを言っているのでしょう。一つは自分が霊的に無力であることを認めることで、これは簡単なことではありません。自分のプライドをのみ込 …
バプテスマのヨハネは腹を立てていました。もしイエスが本当に救世主なら、どうして自分はこんなに弱いのかと。実際やることなすこと上手くいかず、今は牢獄に居て、いつヘロデに首をはねられてもおかしくない。どうなっているんだと。僕 …