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礼拝メッセージ

一つの肩になって
(淀野仰師)
ゼパニヤ3:9-10

アモンは悪王だったが、その後のヨシヤ王は善政を行い、宗教改革を断行した。そのもとになったのが、このゼパニヤの預言と言われる。9節「一つになって」の別訳は「一つの肩になって」。これは、肩を並べて祈り合う信徒たちの姿を表している。とりなしは、天の神に、その人に対して祝福を与えるように頼むことで、これは人へのプレゼントの中で最高の贈り物である。 使徒2章には、最初のペンテコステの様子が描かれているが、そこには3000人が仲間に加えられ(41-42節)、彼らは一つになったとある(46-47節)。使徒2章はゼパニヤ3章の成就なのだ。隣の人が何に苦しみ、何を悩み、何を喜びとしているかを知り、共に祈り合い、とりなし合う。ここに教会の成長がある。 マザーテレサは、来日し、物質的に繁栄している日本を見て、「この国には貧困がある」と言った。4年目に入ったTCCのビジョンな何なのか。東京の、まだ主イエスキリストの福音を聞いたことのない人たち、祈り祈られる幸いをまだ知らない人たちのために、とりなす教会となることではないだろうか。