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礼拝メッセージ

新しく変えられる
(井上薫師)
Ⅱコリント5:17

クリスチャンの比呂子さん(今の井上師夫人)から聖書を渡され、当時まだバリバリのやくざだった井上師は、マタイ5:30「右手が汚いなら切り落とせ。一緒にゲヘナに落ちるよりましだ」を読み、初めて自分の汚れた手を見て大泣きした。5日後、教会に行ったら、みんながにこにこ迎えてくれるので、こんな俺でも迎えてくれるところがあるのかと驚いた。

変わっていく自分を組の親分は見ていたのだろう。ある日「今日は日曜日だろ。教会に行け」と言われ「はい」と応え、帰って来て「親分のために祈ってきました」というと「そうか」との返事。しばらくたって、一緒に教会に行って牧師と面談することとなり、その時親分の口から出た言葉が、「井上がまじめにやるなら、やくざの世界から足を洗わせます」だった。抗争が絶えず、いつ命を落としてもおかしくない中、親分は俺に生きていてほしいと思ってくれたのだ。

やくざの世界では、子分が親分のために命を張る。が、キリスト教の神は、親分であるキリストが、我々のために命を捨てて下さった。「自分はこの新しい親分に仕えます。親分もやくざをやめるよう祈ります」と親分に告げ、自分はやくざをやめた。数年後、親分もやめた。全ては祈りの力。Ⅱコリント5:17「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

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礼拝メッセージ

宣教の緊急性
Ⅱコリント5:11-21

カルビン・ハンソン師は、コンプレン師の神学校の学長だった。日本の伝道の難しさと、それでも神が日本を愛しておられるという篤い思いを、学生時代、米国福音自由から最初の宣教師として日本に派遣され、帰国したばかりのハンソン師から直接聞いた。今回、渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをし、満員電車に乗り、45階のビルから街を見下ろしながら、ハンソン師の当時の情熱と、忙しい日本人に如何に福音を伝えるかを思いめぐらして来た。

コロナが猛威を振るった3年前のこと。隣家の男性が亡くなった。すると、10歳の孫が、隣家がざわついているのに気づき、よく知っているおじさんが死んだのだと聞いて、「あのおじさんはイエス様を知っているのか」と慌てて聞いた。コンプレン師は、「大丈夫」と答えた。数か月前「具合が悪い。コロナの様だ。入院するので、隣家のよしみで、しばらく家の面倒を見てほしい」という電話を受けた時、たまたまイエスの信仰に導いたのだった。

周りのニーズに気づいて、そのニーズに仕えること。キリストの愛を示していくこと。これは、私たちのミッションではなく、神のミッションだ。それも極めて緊急性の高いミッションである。人生は不確かだが、天国は永遠だ。しかしコンプレン師自身、昨今忙しさゆえにこの機会を逃してきたように思うと言われる。だからみなさんはこの神のミッションに最優先で参加する思いで日々過ごしていただきたいと。