トマスは、他の弟子たちが自分のいない間に復活のイエスと出会ったと聞き、不愉快でした。そんなことは信じたくない思い半分、でもそれ以上に、本当に現れたのならなぜ自分が外されたのか。自分はそんな大切な時に呼んでもらえないほどのB級の弟子なのか、いろんな思いがあり、そんな寂しさからトマスは、「イエスの手の釘穴に自分の指を突っ込まない限り、俺は信じない」という過激な反応をしたのではないでしょうか。
僕たちは多くの場合、「自分はあかん」という思いで生きており、それを跳ね返すための努力をします。確かにネガティブパワーには力がありますが、その先に主の祝福はありません。そんな自己義認ではなく、イエスの義認こそが本物のスタートです。人間は皆罪びとです。でも愛されている。その愛を知り、自分の罪を悔い改める。その時、そのあかんかったところが一転、主に在る多様性として輝くのですね。それが、人まねではなくあなたがあなたとして生かされる道なのです。
将棋の歩だったあなたが、「私の主、私の神」と告白するならその時あなたは金将に生まれ変わり、そのあなたの語る言葉と生き方が、「見ないでイエスを信じる世にも幸いな人たち」を生み出していく。それまではあかんかったあなたが、生まれ変わってそれをする。なんと素晴らしい光景でしょう。でもこれこそが、僕たちクリスチャンが神から託された生き方なのです。あなたは掛け値なしの神の本命。そのnew assignmentに生かされ、主の栄光を表わそうではありませんか。