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礼拝メッセージ

いまここに生きる
創世記41:41-52

ヨセフは囚人から、一夜にして総理大臣となります。それは彼が、これまでの不運の連続としか思えなかった人生を通して、謙遜な人間に変えられていったことによるものでした。その後ヨセフには2人の息子が与えられます。長男はマナセ。これは過去のすべての恨みつらみを神が忘れさせてくれたという意味です。神の愛と神の摂理を信じるとき、初めてそれが可能になるのです。次男はエフライム。これは豊かな実りを表します。そしてそれは、「マナセ」があったからこそ、つまり過去の清算ができたからこそ可能となったのです。 ヨセフは元々、父の偏愛をベースに、間違ったアイデンティティーを持っていました。が、種々変遷を経て、父の家でもない、エジプト文化でもない、「主がともにおられる」というところに最終的なアイデンティティーを発見したのです。私たちのいのちと、真のアイデンティーは、キリストのうちに隠されているのです(コロサイ3:3)。「あいつが赦せん」「あの事さえなかったら」の思いはサタンの手です。過去に集中させることによって、「いま」を見させないのです。「いま」は英語でpresent。これは神様からの確かなギフトです。 ロビン・マイヤーズは「目が開かれる人にとっては、聖なる舞台が常に上演中だ」と言っています。またジョセフ・ベイリーは「人生はいまの連続だ」と言っています。「いま」「ここ」に展開される、神脚本、神演出の舞台に驚き、エンジョイしてほしいと思います。そこに全身全霊を注ぐなら、全てが輝き始めます。神様はどこにあっても、あなたに最高のドラマを見せてくださいます。あなたが「いま」「ここ」にいきるかぎりにおいては。大事なのは、「いま」「ここ」にあなたがいるかということです。心もからだも。

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試練の中にある神の導き
創世記37,39,40章

ヨセフは父ヤコブの人間的な愛情の上に間違ったアイデンティティーを築き、高慢に育ちました。そして、しなくていい「夢の報告」までし、いよいよ兄たちに憎まれます。夢を見ることはいいこと。でも、将来神の器として用いられ、その夢を成就するためには、試練を通して砕かれる必要があったのです。それがエジプトに売られ、濡れ衣で投獄され、2年間忘れ去られることでした。それらを通してヨセフは、神だけを頼る者へと変えられます。「主がヨセフとともにおられたので」はその大逆転劇の始まりの合図でした。 ヨセフは釈放後、総理大臣となります。この大抜擢の背景は、夢解きと進言が素晴らしかったこともさることながら、彼が自分との約束を忘れた献酌官長を責めず、ポティファルの奥さんの濡れ衣事件を赦したことにあるのではないかと言われます。なぜなら自分を売ったお兄さんたちのことも、「わたしをここに遣わしたのは、あなたがた(兄たち)ではなく神です」とヨセフは赦したからです。練られた品性は人に感動を与えます。ヨセフも試練によって作り変えられました。試練と、それによる成熟を喜べる人は幸いです(ヤコブ1:2-4)。 ヨセフはイエスの型と言われます。蔑まれ、捨てられ、でも最後は支配者となって全人類を救うイエス・キリストの型です。我々も大きな夢を見て、「神のなさることは、時にかなって美しい」と、神のタイムテーブルで、その実現に向けて神とともに歩んでいきましょう。そのために整えて頂きましょう。なぜならあのアンバランスだったヨセフが整えられ、その後の練られた品性が人を動かし、世界を変えたからです。ゆだね切る時、主は用いられます。

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東京のど真ん中に立つ教会
エレミヤ29:4-7、創世記11:3-4、黙示録21:2-3

イスラエルの民は、自らの不信仰のゆえにバビロン捕囚に遭いました。が、それは神の世界宣教の一環でした。それゆえ彼らは、引いて行かれた敵国の都バビロンの繁栄を祈るようにと神に求められました。実は、東京都心に置かれている僕たちについても、同じくこの東京のために祈ることを神は期待しておられます。それは、この東京の繁栄が自らの繁栄でもあるからです(繁栄は、ヘブル語でシャローム)。そのためには宣教のために都心に導かれた「捕囚の民」である我々が、まず神に癒されることが必要で、そのためには赦し赦され愛し愛される場としてのコミュニティーが不可欠であり、そのためにこのTCCが東京に立てられました。 ところで僕らは仕事に全身全霊を注ぎます。それ自体は良い事です。が、その成果や組織を通してアイデンティーを確立しようとするとき、仕事や組織が偶像化し、結局ひたすらそれを通して「名をあげる」だけの空しい人生となります。そこでは優越感が支配し、その人は結局「良好な人間関係と栄光ある人生」の両方を手にすることはできません。この両方を獲得するために必要なのが、神との確かな関係、真のシャロームなのです。さて、あなたの人生はどちらを向いているでしょうか。

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一人を捜される主イエスキリスト
ヨハネ4:16-26、創世記28:10-22

僕たちは平安の人生を求めます。が、意に反して苛酷な環境におかれることもしばしば。そんな時「神様、どうしてですか?」と噛みつくような祈りをしてしまうこともあるんじゃないでしょうか?でも、あれがあって今がある、我が人生に必要だったと、その「荒野」を振り返って思えるとしたら感謝です。主イエスは サマリアの女性に会うために炎天下の荒野に出て行かれましたが、それと同じく、今あなたを捜しに出て来ておられます。大切なのはそのイエスと出会い、本気で向き合うこと。そしてもっと噛みついてもいいんじゃないでしょうか。主はあなたの主への信頼を喜んでくださり、必ずあなたの求めに応えてくださいます。