「あんな奴は知らん、仲間でもなんでもない、一緒にするな!」と、一番大事な時にイエスを3度も呪って否定し、でもそんな自分に嫌気がさして外に出て号泣したペテロでした。直前まで「あなたのためには命も捨てます」と大見得切っていただけに、余計に情けなかったに違いありません。では彼はその後どのようなステップで変えられ、のちの教会の最高指導者にまでなったのか。もしイエスが死んでおしまいだったら、失意と破滅の人生だったはずです。が、主の御名は誉むべきかな。 イエスは復活されました。そしてわざわざペテロに会いに来られ、彼を回復させたのです。その手順は、まさに名医!でした。でこのはドクター✞(クロス)なるキリストが、瀕死の重病人ペテロに施された「心の大手術」とは、いったいどのような内容だったのでしょうか。
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思うに任せない昨今ですが、その中で良いことがあったとすれば、それは真に見るべきものに多くの人が目を留め始めたこと。そして「天賦の賜物」——つまり各人に与えられた能力と働き場——をわきまえることはその一つです。バプテスマのヨハネは、自分はイエスキリストのベストマンであって花婿を超えるなどありえないと主張しました。僕たちの中には、どこか自分が崇められたい(まるで神の様に)というサタン的な欲求があり、それはヨハネの謙遜さは対照的です。が、謙遜さとは、努力の結果得られるものではなく、神との関係がはっきりしたときに初めて生まれて来る「果実」なのです。ですから私たちも、自らの天賦の賜物をわきまえ、ヨハネのごとく「あの方(イエスキリスト)は盛んになり、私は衰えなければならない」と告白したいと思います。それは神の子イエスキリストが、まず2000年前に、私たちを友と呼び、私たちのためにいのちを捨ててくださったからです。(ヨハネ15:13)
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「福音ってなに?」と聞かれたら、「神は私たちを愛された」が福音だよ!と、答えられるでしょうか? さらに「どれぐらい愛してくれたの?」という質問には、「僕らは神を捨てたのに、神は僕らを捨てなかった。いやいや、捨てないどころか、そんな僕らのために十字架にまで掛かってくれた、それぐらい愛されたんだよ」が答えでしょう。そこで「どうして十字架が必要だったの?」と聞いてくるなら、「捨てたことで、僕らの上に呪いとさばきが降りかかるはずだったのに、それをも御子がひっかぶってくれたんだよ」と。じゃあ「なんで神様は、そこまで?」ときたら、どうします?その答えが、今日の説教題なのです。
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みなさんは、ご自分のことを頑張り屋さんだと思いますか。9割の人がYESと答えるかもしれませんね。頑張ることは素晴らしいこと!そしてその先に勝利と栄光があり、幸せな人生が待っているよと・・・これが私たち日本人が小さいころから教えられてきた内容です。そして、ほぼこれとおなじことを追求していたのがパリサイ人でした。がんばってきよい生活を送るなら、神のめぐみを味わい、神の支配を現実の世界で見ることができると彼らは本気で信じていたのです。決して間違いではないけれど、そこには 唯一・最大・致命的な欠点がありました。それはイエスキリストを見ていなかったこと。あなたはどうでしょう。そして、主を見上げるとは、どういうことなんでしょう?
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この世の終わりには神のさばきがあると聖書は言います。そしてそのさばきの前に立ちおおせる人は一人もいないと。それは僕らが、どこまで行っても自己中心だからです。つまり自分さえよければOK、他人は二の次!・・・それが僕らの心を占める不動の優先順位であり、このさんざんたる有様を主は全部見通しておらるというのです。おそろしいことです。が、そんな僕らのために、神はその独り子であるイエスキリストをお送りくださり、本来愛せるはずのない私たちを愛して、愛して、愛し抜かれた。このパラドックスに満ちた神の愛が、聖書全巻を貫く中心テーマです。
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あなたはウイークデーの昼間、神を見上げ、そこから平安や安息を得ることはありますか。なかなかむずかしいかもしれませんね。でも神にお会いできる場所は、日曜日の礼拝堂だけではありません。イエス様は「わたしは3日で神殿をよみがえらせる」と言われました。これは皆さんお一人お一人の「心の神殿」を指しています。内在のイエス様、それこそが神との出会いの場です。東京センターチャーチは建物を持たない教会です。そして皆さんが、心の神殿、内在のイエス様を通して、日々神とお会いし、安らぐことを応援しています。主はモーセに「わたしがともに行く。私が遣わす」と言われました。さあ、今日も、このイエス様に遣わされて、そしてこのイエス様とともに、あなたの持ち場に出て行きましょう。
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みなさんは、 意味不明な指示を下された時は、納得するまで動かないタイプですか。それとは逆に、有能なボスのもと、下された命令がたとえ少々意味不明でもボスに対する信頼ゆえに動けるタイプですか。もし後者なら、あなたは幸せな仕事人と言えるでしょう。 人生には試練がつきものです。しかしたとえ逆境の中でも、神の喜ばれることを、神の指示通りに、四の五の言わずにこなすならその時、素晴らしい奇跡の目撃者となるというのが、今日の聖書のお話です。あなたも神への信頼の元、与えられた仕事をテキパキとこなし、共に神の栄光を仰ごうではありませんか。
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私たちの平安ってどこから来るのでしょう。神様を近くに感じるって、どういうことなのでしょう。 それは、神様は私のことを全部ご存知だということ。その上で、すべての失敗、あやまち、罪の赦しを宣言して下さるという確信があること。 そこにこそ、慰めがあり、励ましがあり、喜んでこの神様にお仕えしようというモチベーションの源があるのではないでしょうか。 そして、このようにダメな私たちの所に、ごみだめのような世界に、全能の神がおいで下さった、とびこんでくださた、その謙遜に学ぶとき、 私たちももっと謙遜に、すべての人にお仕えできる者へと変えて頂けると確信します。
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