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礼拝メッセージ

見えない希望を見る
(高橋正則先生)
ローマ8:24-25,28

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礼拝メッセージ

神の愛の勝利
ローマ8:35-39

僕たち人間は神のかたちに造られ、それゆえ僕たちは人格を持つのです。が、世にはモノと人格の戦いがあり、人格を持たない世のあらゆる被造物は、僕らを常に非人格化しようとするとパウロは言います。 しかしキリストを通して知る神の愛のあるところ、その非人格化は許されず、あくまで僕らは人格的であり続けることができます。だからパウロは「私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的勝利者だ」と言っているのです。 パウロは、クリスチャンとはキリストのために死ぬ者だとはっきり言います。これが僕らの信仰の中心だと。その時、キリストが復活したように僕たちも復活する、それがこの「圧倒的勝利」の中身なのです。 戦争は非人格化の極みですが、たとえ戦争でなくとも世には非人格化があふれています。しかし礼拝を通じてイエスの人格に癒してもらえる者たちは、いつでも人格的であり続け、神の愛の勝利の歌を歌うことができるのです。 この主の復活のいのちに生かされて、僕らは自分の持ち場に遣わされて行きましょう。そして時が良くても悪くても、神の愛の勝利を告げ知らせましょう。そんなあなたが今、あなたの持ち場には必要とされているのですから。

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礼拝メッセージ

聖霊の働き4,5,6」
ヨハネ14:16-19、ローマ8:13-17

神は、全宇宙の所有者、兼支配者です。信じる私たちは、この神の子とされ、イエスと並ぶ共同相続人とされています。でもその前提が「苦難も共にする」ということ。十字架が無ければ冠もない。神の子とはそういうものなのです。あなたは、このイエスの言う「軽いくびき」を、ご自分の十字架を、そこから来る召しをもう発見されたでしょうか。 イエスに対する裏切りに落ち込み、「次は俺たちが殺される番かもしれない」と、部屋に鍵をかけておびえる弟子たちに、復活のイエスはまず「平安があるように」と言い、伝道に遣わされます。なぜ、ここで伝道なのか。それは新しいミッションを与えられることが、彼らにとっての最高のなぐさめであり、励ましであり、元気の素だったからです。 愛され、赦されている事実を彼らは確認し、「だれにも指一本触れさせない」とイエスが言われたその平安を手にして、彼らははじける思いでこの新しい任務に出て行きました。我々も、今聖霊を受け、世界大の神の御手にすっぽりはまって、神の召しへと、ターボエンジン搭載で、遣わされて行こうではありませんか。神から預かったものを、神のために使わせて頂こうじゃありませんか。