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センターチャーチ

「福音」について #1(本文 P13〜38 より)

I. センターチャーチ神学について

1) まず私たちは何を目指すのか?成功か?信仰か?それとも実りか?

  1. 成功をめざすなら:回心者、会員数、献金などを基準にその成果を測ることになります。
  2. 信仰を目指すなら:牧師の語る教義が健全であることが主眼となります。しかし熱心だが何も引き出せないケースがあり、また伝道しても回心者が現われないこともあります。
  3. 実りを目指すなら:ヨハネ15:8で、主イエスは「実り」を求めました。パウロは「御霊の実」(ガラ5:22) を語り、教会の成長イコール実りであるとしました。また「植え、水をやり、刈り取る」(Iコリ3:6-9) というガーデニングの比喩から、ミニストリーとして目指すものは、成功や信仰だけではないことが分かります。またガーデニングから、信仰的であると同時に、技術的も高くなければ園は枯れてしまうこと、さらには、園(ミニストリー)の成功度は、土地の状況や天気にも左右され、我々のコントール外の要素が多く含まれていることも分かります。 

考えよう⇒ヨハネ15:8、ガラ5:22、Iコリ3:6-9から得られる「ガーデニング・実」のイメージを思いめぐらすとき、あなたの日常の生活感との違いはありますか。

2) リディーマー教会に見学に来た人たちに、本教会で行っている説教の基本原則(いわゆる fruitfulness の秘密)を聞かれ、ティムケラーが「大切なこと」として伝えたことは、説教者が聴衆の心と文化を理解し、聴衆がその論理の道筋に力を感じるような説教を語ること(たとえ最終的にそこに納得しないでも)でした。事実リディーマー教会は、ニューヨークという大都会に特有の、クリスチャン・ノンクリスチャンの双方についての、内なる感性、知的傾向、彼らの決定プロセスを分析してきました。 

考えよう⇒大都会に特有のものとして、特にその論理の道筋、感性、知的傾向などをあわせた「都会的な決定プロセス」とはどのようなものでしょう。

3)「ハードウエア」「ミドルウエア」「ソフトウエア」「教義的な土台」を「ハードウエア」と呼び、「ミニストリープログラム」を「ソフトウエア」と呼ぶなら、その2つの世界の間にある「ミドルウエア」に深みがあると気づいたとティムケラーは言います。しかし、多くの牧師は、自分の信じる教義や文化的コンテキストとは違うプログラムを選んでいる現実があります。いわゆる人気のあるやり方を外から持って来て、教会の神学とも背景とも合わないものを採用しているわけですが、その場合、実りは期待できません。教会内に変化は生まれないし、外の人たちに対してもアウトリーチできないのです。それは福音にも文化にも照らした内容になっていないからです。 

ミドルウエアとは、ハードとオペレーティングシステムの間にあるもので、コンピューターユーザーは普通に使っています。これと同様に、「教義的な土台」と「ミニストリープログラム」の間で、どういう福音を、都市の特定の文化や、今という歴史的切り口に根付かせるかを考えるのです。これが大切であることが分かれば、それを橋渡しに、ミニストリーの形も決まってきます。 

考えよう⇒福音と文化をどちらも外さないことが、伝道の成功の秘訣だとティムケラーは言っていますが、あなたの教会ではこれまでそれができていましたか。できていなかったとしたら、それはどのようなズレでしたか。

4) ミドルウエアの中身としての「神学的ビジョン」について 「神学的ビジョン」とは、「聖書から来る教義的な土台を、特定の時と場面で如何に扱うか」をイメージした大まかな方向付けです。これは、「今この時の文化」と「生活」と「ミニストリー」と「ミッション」を総合的に考えた『福音についての再表現・言い直し』」のことです。 

ミドルウエアには次の3つの一般的性質があります。

  1. ミドルウエア(神学的ビジョン)は、もとよりむずかしく、とっつきにくいものだが、牧師には必要であり、特に都会で働く牧師にとっては、教義的な土台とミニストリープログラムの連結は重要課題。このミドルウエアの存在を知り、それを有効活用するなら、多岐にわたる都会でのミニストリープログラムを生み出し得る。
  2. ミドルウエアは他の教会にも伝達可能であり、他の教会もそれを受けて応用可能である。
  3. ミドルウエアは教会を超える。教会づくりをリードするのみならず、多くのミニストリーを束ね得る力を持つ。 

参考⇒ウイキペディアの「ミドルウエア」の解説、『ミドルウェア (英:Middleware) は、コンピュータの分野 で、コンピュータの基本的な制御を行うオペレーティングシステム (OS) と、各業務処理を行うアプリケーションソフトウェアとの中間に入る広義のソフトウェアのこと。通常はオペレーティングシステムの機能の拡張、あるいはアプリケーションソフトウェアの汎用的(共通的)な機能を集めたものである。アプリケーションソフトウェアはミドルウェアに要求を出すと、ミドルウェアがオペレーティングシステムに必要な要求を出し、結果をアプリケーションソフトウェアに返す。あるいはミドルウェア自体が各アプリケーションソフトウェアの起動・停 止・監視などを含めた制御を行う。』さてこれを読んで、あなたのミドルウエアのイメージは……

4) センターチャーチ リディーマー教会では、自分たちの神学的ビジョン、ミドルウエアを「センターチャーチ」と呼びます。この背景は次の4つです。

  1. 福音が中心にある
  2. センターは、バランスを取るところという意味をもつ。何のバランスか?聖書は、みことばと行いのバランスをとっている。また、リディーマー教会は、人の文化に賛同しつつも、それにチャレンジを与えている。伝統と革新のバランスもとる。
  3. センターチャーチを使った都心でのミニストリーは、21世紀の世界の中心的な動きになろう。
  4. センターチャーチはミニストリーの中心に来る。教義的な土台(ハード)も、ミニストリープログラム(ソフト)も違うのに、ミドルウエアで一致し、まるで姉妹教会のように感じ合うことも可能。 

考えよう⇒ミドルウエアを共有することで「教義が違う教会なのに、まるで姉妹教会のように」同じミニストリーを実現するという経験はありますか。それは具体的にどのようなことを言っているのでしょうか。

5) センターチャーチの3つの中心軸:

  1. 『福音』を伝えるために(目的):福音をクリアーにピンポイントで伝えるために考えるべきテーマは、教義的な土台(ハード)ではなく、センターチャーチ(ミドルウエア)である。
  2. 『町』において(舞台・対象):すべての教会は、自治体を理解し、愛し、そこの住人というアイデンティティ ーを持つ必要がある。が、同時に批判的にチャレンジする必要がある。その司令塔がセンターチャーチ。その町 の文化における神学の発展は、教義的な土台(ハード)でもミニストリープログラム(ソフト)でもなく、セン ターチャーチ(ミドルウエア)に掛かっている。
  3. 『ムーブメント』を中心に(方策):「関係づくり」はセンターチャーチ(ミドルウエア)の課題である。コミ ュニティーとの関係、現在と過去との関係、他の教会のミニストリーとの関係などだ。 

考えよう⇒3つの軸を大切にする時、クローズアップされて来るのがセンターチャーチ・ミドルウエアなのです。それぞれの軸ごとに、センター(中間)の意味するポイントの違いがわかりますか。

II.福音 (gospel) について

多くの教会は、福音的な教義を持ちながらも、ミニストリー自体が福音によって整えられ、そこにフォーカスし、そこから力をもらうということができていません。ゆえにまず福音についてよく知る必要があります。 

1) 福音とは

  1. 福音は良い知らせだが、良いアドバイスではない。つまり福音がすべてではない。
  2. 福音は、私たちが救われたという良い知らせ。私たちは危険から、また神の終末の怒り (Iテサ1:10b)、恥と恐れ(創3:7、10)、神と社会からの疎外 (創3:11-13)、悲しみ、痛み、苦痛、肉体の退化と死 (創3:16-19) から救い出された。世界の戦争、災害、貧困等、すべて神の怒りが原因だ。アダムの罪により土地はのろわれ、それゆえに我々は労働において苦労する。災害や世界の諸問題の原因は水平方向の原因に注目しがちだが、根本は垂直方向(神のとの関係)に起因する。
  3. 福音とは、イエスキリストが、私たちと神との関係を正常化するために、何をなして下さったか (ローマ5:8、IIコリ5:20) を示す。クリスチャンになるということは、その結果のステータスの変更を意味する。まさに死から命に移った (i/o 移る) のだ (Iヨハネ3:14)。「あなたはクリスチャンですか」という質問に、「私はそれほどいい人ではない」と答えるなら、サタンのウソにはまっているとロイドジョンズは言う。「主はよいお方。私は主の中にいます」が正しい答えであり、あなたがどんな人であるかは関係ないのだ。つまり神との関係の変化に尽きる。キリストの死による死の死である。 

考えよう⇒1.は何を言っているのでしょう?1.と2.3.はどういう関係かも考えてみましょう。

2) 福音は福音の結果ではない

  1. ルター曰く、我々は信仰のみによって救われた。しかしいつまでも「信仰のみ」ではなく、そのあとはこれに「良い働き」が伴うのである。が、「救い」と「働き」はもともと無関係で、救いは「働きによって」あたえら れるものでも、「働きを通して」あたえられるものでもない。福音はキリストの働きのプログラムに加わること ではなく、キリストがすでになし終えた働きをうけとること。これがクリアーになっていないと、「信仰による 救い」が、「働きによる救い」に変化してしまう。
  2. 「愛の生活が福音を具現化するから」と言って、また「それが説教と切り離せないから」と言って、福音と一 つにするのは間違いだ。このグッドニュースは、愛の生活を生み出すものだが、愛の生活そのものは福音では ない。 

考えよう⇒「救い」と「働き」の関係を、もう一度自分の言葉で整理して説明してみましょう。

3) 福音には章がある 

福音の物語における問いその答え
第1章私たちはどこから来たのか?神から来た
第2章なぜ世界はおかしくなったのか?罪による
第3章何が世界を正しくするのか?キリストの御業が
第4章私たちはどうすれば正しくなれるのか?信仰による

正しくない福音は第1章「神と創造」、第2章「堕落と罪」、第4章「信仰」のみで終わっている。これは福音ではなく、福音のプロローグとエピローグだ。ポイントは第3章の「受肉、身代わりの死、回復」であり、これが福音なのだ。

① 私たちはどこから来たのか? 

神から来た。世はこの神によって創造された(たまたまできたのではない)。では、なぜ創造したのか?それは三位一体はもともと愛の関係ゆえ、神は愛を知っておられる。だから人間を愛の対象として造られた。しかしそれは「互いに愛し合うため」ではなく、「神の愛を我々人間にシェアするため」であった。かたや私たち人間には、その代わりに、信仰による神に仕え、礼拝する」ことが求められている。

② ではなぜおかしくなったのか? 

罪ゆえにおかしくなった。礼拝し、仕え、他者を愛するために我々は造られたが、我々は反逆し自己中心に陥り、その結果この罪が「奴隷状態」と「有罪判決」をもたらした。「奴隷状態」とはお金、キャリア、家族、恋、セックス、権力への隷属であり、「有罪判決」とは神のために生きないことへの永遠なる死の宣告である。

③ 何が世界を正しくするのか? 

a) 受肉:神と人間の関係は、シェークスピアとハムレットの関係で、登場人物は作者が書いた分しか作者と関われないし、「分らない関係」だ。しかし作者たる神が、主人公を救うために、歴史という書物の中に、パートナーとして御子を書き込んでくださったのだ。

b) 身代わり:NOというだけでなく主は体を張られ、我々の受けるべき拒否と有罪判決を引き受けてくださった。これは不完全な私たちにはできないこと。また私たちには支払えない額の賠償であった。

c) 回復:再臨の主は、審き主として到来し、すべての悪とわずらいと腐敗と死を滅ぼしつくす。新天新地における贖いがその最終目的であり、最後は逃避ではなくこの世の刷新を目指している。

④ どうすれば我々は正しくなるのか?

信仰を持つことによる。死んでよみがえった主イエスを信じることで、我々もいつの日かよみがえるのだ。 

考えよう⇒③のみが福音で、そのことの大切さをここまで認識していましたか?「何が世界を正しくするか」について、今学んだことを自分の言葉で言い表してみましょう。

4) それでは、上記 3)④の、「信仰を持つ」とはどういうことか

a) 過去についての赦しではなく、新しいスタートである。それもこれまでと違う生活を始めること。しかしこ れは「心的態度」によるものではない。「心的態度」によるものの場合、救い主はあなたとなるからだ。「頑張って道徳的になって神と会う」ではない。これは失敗する。どんな頑張りも、自己中心と、不純なモチベーシ ョンが内側にあるからだ。福音とは「父よ、私がやってきたことや、これからやろうとすることではなく、キリストのなさったことによって私を受け入れてください」と祈ることである。

b)「救われるのは、私たちの信仰の質によってではなく、キリストが私たちのためになされたことによる」と理 解すること。「信仰による救い」と聞くと、悔い改めと信仰の深さによって神が私たちを愛すると考えてしまいやすいが、信仰の量ではなく、信仰の対象によって我々は救われるのだ。飛行機に全幅の信頼を寄せる人と、ほとんど信頼していない人が乗ったとする。後者が前者の100倍の不安を持っていたとしても、両者とも同じ目的地につく。飛行機に対する信頼があるなら、量ではなく、救いに移されるということだ。 

考えよう⇒福音と信仰について、ここで新たに気付かされたことがあれば、自分の言葉で言い表してみましょう。