十字架のイエスとその両脇の二人の泥棒。実はこれが「最初の教会」という説があります。死に直面してイエスと結び付けられている罪びとの集団が「教会」だからです。泥棒の一人はイエスとの会話の中で自分の罪を悟り、またまことの神を知り、その神により頼みます。と、その瞬間、「今日あなたはわたしと一緒にパラダイスに居ます」と驚くべき確かさで、イエスはその罪びとの今後の歩みを約束される。これが私たちがイエスと為すべき会話なのです。 2つ目の教会は、弟子とマリアへの、十字架からの語り掛け「女の方、御覧なさい。あなたの息子です」から始まります。その「イエスの愛する弟子」はヨハネだろうとされていますが、実際にマリアのお世話をする弟子は、イエスに愛された経験を持つことだけで十分だったのです。イエスは12弟子の足を洗い、この足を洗い合うことを知る弟子たちに、ご自分の母マリアを託した、それが「教会」の始まりでした。 「わが神わが神、どうしてお見捨てになったのですか」と叫ばれたイエスは、サタンに包囲された状態でした。でもその後に「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」と祈られた、これは、サタンの包囲網を突破されたということです。この祈りは元来ユダヤ人の子どもが眠りにつくときの祈りの言葉です。神に委ねるイエスの生き方と神に委ねるイエスの死に方は、共に私たちの理想、そしてそれこそが迫りくる死の包囲網を突破する力なのです。
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