ダビデとゴリアテの戦いの場面。兄のエリアブは、弁当を届けに来たダビデが、ほかの兵士と話をしているのを見て、「いったいおまえは、なぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、誰に預けて来たのか。私には、お前のうぬぼれと、心にある悪がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう」と見下して言います。しかしダビデはそんな皮肉には耳を貸さず、羊飼いの自分の特性を生かして、杖と、5つの石で、ゴリアテに立ち向かいます。 エリアブは、自分を偉大な戦士だと思い、一方でダビデの羊飼いの仕事を見下げていました。しかし実際のエリアブは、ほかの兵士と一緒に宿営で震え上がっていたのです。この表と裏のギャップ、乖離状態がシニシズムです。一方ダビデは日ごろから、外もうちも完全一致の生活をしていました。死の陰の谷に在っても神の臨在を感じることは、彼にとっては普通のことでした。 根拠のない楽観主義は祈りません。が、逆にシニシズムに陥ると祈れなくなります。どちらも神に信頼していないのです。でもパウロは、救い主の血が落ちてバラ色になったレンズを通して、教会を見ていました。私たちも、家庭を、職場を、すべての人間関係を、神の贖いのストーリーからくる安心、根拠ある楽観主義に立って眺め、個別の問題に対処していきたいと思います。
カテゴリー