癒された盲人は、神学的な知識は何も持っておらず、イエスについて問い詰められても、知らぬことばかりでした。が、「ただ一つのことはわかっています。私は盲目であったのに、今は見えるということです」ときっぱり答えることができました。キリスト教は事実を扱う非常に科学的な宗教です。神に聞き従うとは、自分が体験したことを証しすること。実は僕らのやるべきことはこれだけなのかもしれません。 紀元1世紀のユダヤは、イエスの味方をすると追放される社会になっていました。盲人の両親の「本人に聞いてください」の言葉は、それが怖くて言い逃れをしたのだと、ヨハネは説明しています。が、盲人本人は、「彼は神から来たキリストです」と言い放ち、ユダヤ人の不興を買い、追放されます。でもそれゆえにイエスと出会うことができたのです。我々も人目を恐れず是を是とし、イエスに会う道を選びたいものです。 ヘンリーナウエンは、「放蕩息子の帰郷」の絵を見て、「自分は兄息子だけど自分も父親に触れてほしい」と思い、ハーバード大の教授職を捨て、ラルシュ共同体に移り住み、そこで神に本当に愛されるとはどういうことかを知ります。そして最後の10年は、「成功しろ、成し遂げろ」ではなく、「『これは私の愛する子』と言う慰めに安らげ」の声を聞く人生にシフトチェンジします。さて、あなたは日ごろ心の中のどんな声を聞いているでしょうか。
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