イエスの出発が遅れたため、到着した時にはラザロは死んで4日も経っていました。イエスがそこに居なかったためにラザロは死んだと思ったマルタは「あなたがおられたらラザロは死ななかっただろうに」と言いました。本当にそうでしょうか。イエスは遍在なるお方です。と同時に、時間にも縛られないお方です。またお気持ちひとつで死をも留めることができるお方でもあります。僕たちは信仰にしても、神理解にしても、はなはだ限界ある者たちですが、イエスはそれを全部ご存じの上で、恵みを施してくださるお方なのです。 イエスはご自分を「よみがえりだ。いのちだ」と言われました。が、永遠のいのちは、イエスと今まさに交わりを持つ者だけが得られる特権であり、その者は愛に生きる!とアウグスチヌスは言います。つまり問われるのは、今愛に生きているかどうかです。妻や夫に対して。子どもに対して。隣人に対して。その人が生きている間に生かされてきた愛が、その人を死に打ち勝せるのです。それを説明した上でイエスは「あなたは、わたしがよみがえりでありいのちであることを信じるか?」と問われます。マルタのように、「主よ、信じます」と答えたいものです。
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